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レジェーレ・フェルディナンド (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NMS レジェーレ・フェルディナンド
リホーイ
1935年に撮影されたレジェーレ・フェルディナンド
1935年に撮影されたレジェーレ・フェルディナンド
艦歴
レジェーレ・フェルディナンド
Regele Ferdinand
起工 1928年 パティッソン・ヤード
所属 ルーマニア王国海軍
進水 1928年12月2日
竣工 1930年
リホーイ
Лихой
改称 1944年9月14日
所属 赤色海軍黒海艦隊
ソ連海軍黒海艦隊
除籍 1951年7月3日
レジェーレ・フェルディナンド
Regele Ferdinand
編入 1951年7月3日
所属 ルーマニア人民共和国海軍
退役 1950年代
除籍 1960年代
要目[1]
艦種 駆逐艦
艦級 レジェーレ・フェルディナンド級
排水量 1,850 t (満載)/1,400 t(常備)
全長 101.9 m
全幅 9.6 m
喫水 3.5 m
機関 蒸気タービン2 基 44,000 馬力
推進 2
速力 36 kn
航続距離 2,739 /13 kn
乗員 212 名
武装 (1941)[2] 120 mm 単装 5 門
76.2 mm 単装高角砲 1 門
37 mm SK C/30 高角砲 2 門
13.2 mm 2連装基 2 門
533 mm 3連装魚雷発射管 2 門
爆雷投射機 2 門
機雷 50 門
装甲 なし

NMS レジェーレ・フェルディナンドルーマニア語:Regele Ferdinandレジェーレ・フェルディナンド)は、ルーマニア海軍駆逐艦Distrugător)である。艦名は、ルーマニア国王フェルディナンド1世に因む。

概要

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建造

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レジェーレ・フェルディナンドは、ルーマニア王国海軍向けのレジェーレ・フェルディナンド級駆逐艦1番艦としてソーニクロフト社によって設計された。1928年イタリアナポリパティッソン・ヤードで起工、同年12月2日進水1930年に就役した。

艦は、533 mm魚雷発射管6 門を第2煙突と後檣との間に装備していた。また、艦橋前に2 門と、艦中部に1 門、後部に2 門の合わせて5 門の120 mmを搭載していた。この他、若干の対空兵装を有していた。射撃管制装置としては、前後の艦橋に測距儀が備え付けられていた。

実戦

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第二次世界大戦中は主に船団護衛に従事した。レジェーレ・フェルディナンドは1941年12月17日にソ連の潜水艦M-59を撃沈した[3]1944年8月29日コンスタンツァにあったレジェーレ・フェルディナンドは侵攻してきた赤軍によって捕獲された。9月14日にルーマニアが降伏するとレジェーレ・フェルディナンドは戦利艦として正式にソ連の所有物となり、赤色海軍黒海艦隊に編入された。同時に、艦名は「勇猛果敢な」という意味のロシア語形容詞からリホーイЛихой)と改称された。

返還

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リホーイは1951年7月3日付けでソ連海軍を除籍され、ルーマニアに返還された。かつての王政は倒されていたにも拘らず、艦名は元のレジェーレ・フェルディナンドに戻された。1950年代末に退役、1960年に除籍された。

脚注

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  1. ^ Conway's All the World's Fighting Ships 1922–1946, p. 361
  2. ^ Jipa Rotaru, Ioan Damaschin, Glorie și dramă: Marina Regală Română, 1940-1945, Ion Cristoiu Publishing, 2000, p. 255
  3. ^ Donald A Bertke, Gordon Smith, Don Kindell, World War II Sea War, Volume 5: Air Raid Pearl Harbor. This Is Not a Drill, p. 63

関連項目

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外部リンク

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