レオニード・スローヴィン
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レオニード・スローヴィン Леонид Словин | |
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誕生 |
1930年11月2日 チェルカースィ |
死没 |
2013年6月19日 エルサレム |
職業 | 小説家、弁護士、予審判事、刑事 |
言語 | ロシア語 |
ジャンル | 推理小説、警察小説 |
デビュー作 | 「こんな仕事」(1964) |
ウィキポータル 文学 |
レオニード・セミョーノヴィチ・スローヴィン(ロシア語: Леони́д Семёнович Сло́вин、1930年11月2日 - 2013年6月19日)は、ソビエト連邦・ロシアの推理作家。
略歴
[編集]1930年にチェルカースィで生まれた。モスクワ大学の法学部を卒業し、弁護士、予審判事、刑事捜査局の局員を順に務めた。大学在学時に文筆業を開始し、1964年には最初の中編小説「こんな仕事」(Такая работа)を発表。1969年には中編小説「夜明けに抑留する」(Задержать на рассвете)を発表。その後は、「民警軍曹デニーソフのデビュー」という短編シリーズを続けて発表した。
スローヴィンは推理小説を、1人の優れた主人公(探偵役)が大きな役割を果たす「純粋推理小説」と、事件を解決するための集団の活動を描く「民警小説」(警察小説)に分類している。スローヴィンによれば、「純粋推理小説」のソ連における代表的な作家はヴィクトル・スミルノフ、ワイネル兄弟、パーヴェル・シェスタコーフであり、「民警小説」(警察小説)のソ連における代表的な作家はユリアン・セミョーノフ、アルカージイ・アダーモフ、ヴェ・カラハーノフである。そして、どちらがより良いかは一概には言えないが、自分が書くのは後者の民警小説だとしている。[1]
1991年に刊行されたソ連(ロシア)初の推理小説専門誌『インターポール・モスクワ』創刊号では、ソ連・欧米・日本の作品が各1編掲載されたが、そのうちソ連の作品はスローヴィンの中編小説「深夜固定料金」だった[2]。
日本語訳作品
[編集]- 目撃者のない事件 (訳:井桁貞義、『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)) (原題および発表年不明)
- 短編シリーズ「民警軍曹デニーソフのデビュー」の1編。
小説リスト
[編集]ロシア語で執筆。
- Такая работа (こんな仕事) (1965)
- Задержать на рассвете (夜明けに抑留する) (1969)
- Астраханский вокзал (1975)
- Дополнительный прибывает на второй путь (1981)
- Пять дней и утро следующего (1981)
- Транспортный вариант (1982)
- Обратный след (1984)
- Транспортный вариант (1988)
- Бронированные жилеты (1989)
- На темной стороне Луны (ゲオールギイ・ワイネルとの合作)
- Когда в нас стреляют
- Точку ставит пуля
- Отстел
- Пауки (1997)
- Война крыш
- Победителям не светит ничего
- Героиновые звезды
- Полночный детектив
- Агентство "Лайнс" (2008)
- Погоны, ксива,ствол (2008)
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「目撃者のない事件」(『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号))に付された「作者スローヴィンの言葉」
- アナトーリィ・ベズーグロフ(ロシア共和国推理作家同盟総裁)インタビュー(『ミステリマガジン』1991年12月号)
- 深見弾「ソビエト・ミステリ界の現状」(『ミステリマガジン』1991年12月号)