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レイ卿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レイ卿
Lord Reay

紋章記述

Arms:Azure on a Chevron Argent between three Bears' Heads couped Argent muzzled Gules a Roebuck's Head erased between tow Hands grasping Daggers the points turned towards the buck's head all proper Crest:A Dexter Arm erect couped at the elbow the hand grasping a Dagger also erect proper Supporters:Dexter: a Pikeman armed at all points; Sinister: a Musketeer, both proper
創設時期1628年6月20日
創設者チャールズ1世
貴族スコットランド貴族
初代初代卿ドナルド・マッカイ英語版
現所有者15代卿イニアス・マッカイ英語版
相続人アレクサンダー・マッカイ閣下
相続資格マッカイの紋章とその姓名を受け継ぐ男子相続人[1]
付随称号(ファーの)準男爵
現況存続
邸宅オペイマーツ城
旧邸宅タング・ハウス英語版
ヴァリッヒ城英語版
モットーManu Forti(With a strong hand)
歴代当主はマッカイ氏族長を兼ねる

レイ卿英語: Lord Reay)は、スコットランド貴族ロード・オブ・パーラメントドナルド・マッカイ英語版が1628年に叙位されたことに始まる。歴代当主はマッカイ氏族英語版の氏族長を務める[2]

一族の邸宅は、オランダ王国ヘルダーランド州ティール近郊のオペイマーツ城 (Ophemert Castle)[3]

歴史

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かつての一族の居城であるヴァリッヒ城址英語版

マッカイ氏族は古来よりスコットランドストラスネイヴァー英語版一帯からサザランド北東部にかけてを支配してきた一族である[4]

その係累の軍人サー・ドナルド・マッカイ英語版(1591-1649)三十年戦争を戦って、北欧諸国を転戦した人物である[3][5]。彼はケイスネス地方に位置するレイ英語版に地所を購入したのち、1627年(ファーの)準男爵 (Baronet, of Far)、ついで翌年6月20日にはスコットランド貴族としてレイ卿(Lord Reay)に叙された[1][3][5][6]

2代卿ジョン(1612-1680?)イングランド内戦騎士党派として活動した[3][5]。彼ののちは嫡孫ジョージが爵位を継承した[3][6]。これ以降は7代にわたって3代卿ジョージの系統で爵位は継承された[1][3]

しかし、9代卿エリック(1813-1875)が生涯未婚のまま没すると、3代卿の系統は途絶えた[1][3]。そのため、卿位は2代卿の次男の系統に遡って、親族イニアス・マッカイ(1806-1876)に相続された[1][3]。当時の10代卿イニアスの系統はオランダに帰化しており、彼自身もオランダ陸軍准将を務めた陸軍士官であった[3][7]。彼の父ヨハン・マッカイは1822年オランダ王国貴族英語版としてオペイマーツ及びゼネヴェイネンのマッカイ男爵(Baron Mackay van Ophemert and Zennewijnen)に叙されていたため、10代卿以降の当主はオランダ貴族爵位も帯びることとなった[1][3][8]

11代卿ドナルド(1839-1921)1877年にイギリスに帰化して、ローズベリー内閣下のボンベイ知事英語版インド省政務次官英語版を歴任した[1][3][9]。彼は1881年10月8日連合王国貴族としてサザーランド州ダーネスのレイ男爵 (Baron Reay, of Durness in the County of Sutherland)に叙せられたが、彼には子がおらずレイ男爵位は一代で廃絶している[3][9][10]。他方、レイ卿位とマッカイ男爵位は10代卿の弟の系統に移行して、親族エリック・マッカイが継承した[3][11]

しかし、12代卿エリック(1870-1921)は爵位を承継して僅か3か月後に急逝したため、長男がイニアスが卿位を襲った[3]

13代卿イニアス(1905-1963)は1938年にイギリスに帰化したのち、スコットランド貴族代表議員に選出されて貴族院に籍を置いた[3][12]

さらに、彼の一人息子である14代卿ヒュー(1937-2013)欧州議会議員を務めたほか、保守党政治家としてサッチャーメージャー両政権下の貿易産業政務次官英語版を務めた[13]。また、彼はブレア内閣による貴族院法制定以降も、貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人であった[3]

現当主である15代卿イニアス(1965-)もまた互選の結果、父同様に貴族院議員を務めている[14][15]

現当主が保有する爵位 / 準男爵位

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現当主である第15代レイ卿イニアス・サイモン・マッカイ英語版は以下の爵位を保有している[3]

  • 第15代(ファーの) 準男爵 (15th Baronet, of Far)
    (1627年3月18日の勅許状によるノヴァスコシア準男爵位)

海外爵位

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レイ卿 (1628年)

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爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるマスター・オブ・レイ (儀礼称号) アレクサンダー・シャイミー・マーカス・マッカイ (2010-)。

脚注

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註釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g Arthur G.M. Hesilrige. “Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc : Free Download, Borrow, and Streaming” (英語). Internet Archive. p. 752. 2020年8月14日閲覧。
  2. ^ Clan Chiefs”. Clan Mackay Society. 2020年8月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Reay, Lord (S, 1628)”. Cracoft's Peerage. 2019年11月18日閲覧。
  4. ^ From Clanship to Crofting; Land Ownership, Economy and the Church in the Province of Strathnaver”. ssns.org.uk. Page 51. 19 February 2018閲覧。
  5. ^ a b c A. N. L. Grosjean. "Kerr, William, second marquess of Lothian". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/17556 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  6. ^ a b Cokayne 1895, p. 333.
  7. ^ Cokayne 1895, p. 334.
  8. ^ Cockayne 1895, p. 334.
  9. ^ a b E. M. Satow; P. W. H. Brown. "Mackay, Donald James, eleventh Lord Reay and Baron Reay". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/34740 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  10. ^ "No. 25021". The London Gazette (英語). 30 September 1881. p. 4891. 2020年8月14日閲覧
  11. ^ Mosley 2003, p. 3302.
  12. ^ Mosley 2003, p. 3304.
  13. ^ Mosley 2003, p. 3301.
  14. ^ Hereditary peers' by-election, January 2019: result”. House of Lords (23 January 2019). 2020年8月14日閲覧。
  15. ^ Bloom, Dan (23 January 2019). “Man wins seat for life in Parliament thanks to his ancestor becoming a Lord in 1628”. Mirror. https://www.mirror.co.uk/news/politics/man-wins-seat-life-parliament-13897864 9 January 2020閲覧。 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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