レイ・ブレンカー
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | インディアナ州ハンティンバーグ |
生年月日 | 1937年8月9日 |
没年月日 | 1994年2月15日(56歳没) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1959年 |
初出場 | 1960年7月3日 |
最終出場 | 1960年7月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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レイ・ブレンカー(Ray Blemker)ことレイモンド・ブレンカー(Raymond Blemker,1937年8月9日 - 1994年2月15日)は、アメリカ合衆国インディアナ州ハンティンバーグ出身ののプロ野球選手(投手)。左投右打。
経歴
[編集]カンザスシティー・アスレチックス(現:オークランド・アスレチックス)とプロ契約し、初年度の1960年、7月3日のフェンウェイ・パーク、ボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たす。
しかし、そのデビュー戦以降はメジャーの試合に出ることはなく、最初の試合が現役最後となった。
最初で最後の登板試合
[編集]試合はこの年低迷する両チーム同士の対戦で、最下位を争うものだった。
アスレチックスの先発は、5年目にしてようやく先発ローテーション入りしたディック・ホール、レッドソックスの先発も、30歳を迎えてやっと先発に定着できた苦労人アイク・デロックだった。
試合は3回まで両投手が好投し、0対0のまま4回を迎える。4回表、先頭のノーム・シーバーンがソロホームランを放ち、アスレチックスが先制する。その後1、2塁とチャンスをつくるが、追加点はできなかった。
すると直後の4回裏、フランク・マルゾーンの併殺打の間に3塁走者が生還し、レッドソックスはすぐさま同点に追いつき、試合は振り出しに戻る。5回表に得点できなかったアスレチックスは、その裏、そして6回裏にも失点し、先発ホールは6回で降板する。
7回になんとか1点を返したアスレチックスだったが、その裏にレッドソックスの猛攻を受けることになる。リリーフのネッド・ガーバーは一つアウトをとるが、四球2つで走者をため、降板。
代わったドン・ラーセンがレッドソックスの4番ヴィック・ワーツに3ランホームランを打たれ、この時点で試合の大勢は決する。ラーセンは次の打者にもツーベースを打たれ、ここでレイ・ブレンカーと交代する。
ブレンカーは最初の打者を打ち取るが、次打者に死球、その次の打者には四球を与え、満塁のピンチを招く。そして満塁から押し出し四球を選ばれる。相手の勢いは止まらず、直後の打者ウィリー・タスビーに満塁ホームランを浴びてしまった。
結局7回は3投手で8点を奪われた。8回にもブレンカーは登板しタイムリーヒットを打たれ、最終成績は1回2/3を投げて被安打3、与四球2、暴投1、失点5、防御率は27.00であった。
試合はレッドソックスが13対2で圧勝。ブレンカーに勝敗はつかなかった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1960 | KCA | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 11 | 1.2 | 3 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 | 5 | 27.00 | 3.00 |
MLB:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 11 | 1.2 | 3 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 | 5 | 27.00 | 3.00 |
背番号
[編集]- 27(1960年)