ルーヴル (競走馬)
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ルーヴル | ||||||
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品種 | サラブレッド | |||||
性別 | 牡 | |||||
毛色 | 鹿毛 | |||||
生誕 | 1999年2月28日 | |||||
死没 | 2004年7月9日(5歳没) | |||||
父 | Anabaa | |||||
母 | Risiere | |||||
母の父 | Groom Dancer | |||||
生国 | フランス | |||||
生産者 | A.ヘッド&A.ヘッド夫人 | |||||
馬主 | A.ヘッド | |||||
調教師 |
C.ヘッド(シャンティイ) →C.クレメント(ペイソンパーク) | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 |
14戦5勝(総合) 9戦4勝(フランス) 7戦1勝(アメリカ) | |||||
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ルーヴル (Rouvres) はフランスで生産された競走馬、およびアイルランドで繋養されていた種牡馬。
経歴
[編集]競走馬時代
[編集]2001年(2歳時)7月に競走馬デビュー戦を迎え、ティエリ・ジレが騎乗して2着。約2か月後の2戦目にオリヴァー・ドゥルーズの騎乗により初勝利を挙げた。以降移籍するまでドゥルーズが騎乗することになる。続くレースで2着となったあとは重賞競走初挑戦となるトマスブリヨン賞 (G3) に出走したがアクトワンに敗れての2着で、その後は休養に入った。
2002年(3歳時)4月に実戦復帰して勝利し、続くギシュ賞 (G3) を制して重賞競走初勝利を挙げた。そしてジャンプラ賞に出走し、G1競走初勝利を挙げた。しかしその後はレースに出走することなくアメリカへ渡り、フロリダ州インディアンタウン・ギャップにあるペイソンパーク調教場のクリストフ・クレメント厩舎に移籍することになった。
移籍初戦は2003年(4歳時)2月の一般競走となり、ジェリー・ベイリーが騎乗して勝利を挙げた。その後は芝の重賞競走を走り、G2競走で3回2着となったが勝利はできず、この年限りで競走馬を引退した。
種牡馬時代
[編集]競走馬引退後はアイルランドへ渡り、2004年にグリーントゥリースタッドで種牡馬となった。約30頭に種付けを行ったが、同年7月9日の放牧中、転倒した際に頭蓋骨を骨折したことにより5歳で死亡した。
年度別競走成績
[編集]- 2001年(2歳) 4戦1勝
- 2着 トマスブリヨン賞 (G3)
- 2002年(3歳) 3戦3勝
- 1着 ギシュ賞 (G3) 、ジャンプラ賞 (G1)
- 2003年(4歳) 7戦1勝
- 2着 エクスプローシヴビッドハンデキャップ (G2) 、バーナードバルークハンデキャップ (G2) 、ベルモントブリーダーズカップハンデキャップ (G2)
血統表
[編集]ルーヴルの血統(ダンジグ系 / Northern Dancer 3×5×4=21.88%) | (血統表の出典) | |||
父 Anabaa 1992 鹿毛 |
父の父 Danzig1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | |||
Petitioner | ||||
父の母 Balbonella1984 黒鹿毛 |
Gay Mecene | Vaguely Noble | ||
Gay Missile | ||||
Bamieres | Riverman | |||
Bergamasque | ||||
母 Risiere 1992 |
Groom Dancer 1984 鹿毛 |
Blushing Groom | Red God | |
Runaway Bride | ||||
Fetherhill | Lyphard | |||
Lady Berry | ||||
母の母 Rive du Sud1987 |
Nureyev | Northern Dancer | ||
Special | ||||
Riviere Doree | Secretariat | |||
River Queen F-No.1-w |
- 4代母Riverqueenは1976年仏1000ギニー・サンタラリ賞・サンクルー大賞優勝馬。
- 甥に2024年函館2歳ステークス勝ち馬のサトノカルナバルがいる。
- 祖母Rive du Sudの半妹に「薔薇一族」の祖ローザネイがいる。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ、Racing Post