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ルール谷線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルール谷線
基本情報
現況 部分廃止
ドイツの旗 ドイツ
所在地 ノルトライン=ヴェストファーレン州
起点 デュッセルドルフ中央駅
終点 ハーゲン中央駅
路線記号 2400
路線番号 450.3, 450.6, 450.9
開業 1869年12月28日
全通 1874年6月1日
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 80 km
営業キロ 49 km
軌間 1435 mm(標準軌
線路数 単線、複線
電化方式 15 kV, 16.7 Hz(交流
架空電車線方式
最高速度 120 km/h
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR
K-D線(ケルン方面、S6)、A-K線(モェンヒェングラートバッハ方面)
S+BHF
0.0 デュッセルドルフ中央駅
SBHF
1.1 デュッセルドルフ・ヴェールハーン
SHST
2.1 デュッセルドルフ動物園駅
SHST
3.3 デュッセルドルフ・デーレンドルフ
ABZgl
ケルン-デュースブルク線(デュースブルク方面)
ABZg+l
デーレンドルフ貨物駅方面
SHST
6.0 デュッセルドルフ・ラート中駅
ABZg+r
ミュールハイム - コブレンツ線(トロイスドルフ方面)
SBHF
7.0 デュッセルドルフ・ラート
ABZgl
ミュールハイム - コブレンツ線(ミュールハイム・シュパイドルフ方面)
SBHF
9.8 ラーティンゲン東駅
KMW
11.1
10.8
km変更
KRZo
アンゲル谷線
SBHF
15.5 ホェーゼル
TUNNEL1
ホェーゼルトンネル(326 m)
eABZg+r
旧ニーダーザクセンベルクマン鉄道
eABZg+l
旧下ルール谷線
SHST
19.4 ケットヴィヒ貯水池駅
hKRZWae
ルール川(ケットヴィヒ鉄道橋)
SBHF
20.7 ケットヴィヒ
SBHF
25.3 エッセン・ヴェルデン
xABZgl
エッセン南部線(S6)
exBHF
31.6 旧エッセン・ハイジンゲン
exHST
33.0 旧クプファードレー橋駅
exhKRZWae
ルール川
xABZg+r
ヘスパー谷線
eHST
33.7 旧クプファードレー
ABZg+r
ヴッパータール - エッセン線(S9)
HST
36.5 エッセン・ホルトハウゼン
HST
37.8 エッセン・ユーバールール
xABZgl
ユーバールール - ランゲンドレーアー線(S9)
exSTR+l exKRZu
exSTRl exABZg+r
旧アルテンドルフ線
exBHF
42.7 旧アルテンドルフ(ルール)
exABZgr
旧アルテンドルフ線
exhKRZWae
ルール川
xABZg+l
ダールハウゼン線(S3)
BHF
45.1 ダールハウゼン
eHST
48.5 旧ハッティンゲン橋駅
hKRZWae
ルール川
BHF
49.4 ハッティンゲン
ABZgr
WWH線、H線(S3)
LSTR
BHF
56.6 ブランケンシュタイン(ルール)
BHF
59.2 ヘルベーデ
LSTR
HST
64.1 ヴィッテン・ボンメルン
KRZu+r
ヴィッテン - シュヴェルム線
BHF
67.5 ヴェンゲルン東駅
LSTR
ABZg+l
ハーゲン - ドルトムント線
BHF
76.0 ハーゲン・フォアハレ
ABZg+l
デュッセルドルフ - ドルトムント線
ABZgr
デュッセルドルフ - ドルトムント線
ABZgl
シュヴェルテ方面
hKRZWae
フォルメ川
ABZg+l
アーヘン - カッセル線
S+BHF
80.2 ハーゲン中央駅
STR
アーヘン - カッセル線
  • 出典: ドイツ鉄道地図[1]

ルール谷線(ドイツ語: Ruhrtalbahn)はドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州の州都デュッセルドルフとルール地方の南東端にあるハーゲンを結ぶ鉄道路線である。この路線はドイツ帝国時代に私鉄のベルク・マルク鉄道(Bergisch-Märkische Eisenbahn, BME)により建設されて、ルールオルト港の石炭輸送に最も有用な路線であった。現在エッセン南部およびボーフム南部の一部区間が廃線となって、Sバーン列車と保存鉄道列車がこの路線を通行している。

歴史

[編集]

1869年12月28日にダールハウゼン - ハッティンゲン間はBMEにより開業された[2]。BMEはデュッセルドルフ - クプファードレー間を1872年2月1日に開通して[3]、この区間は1847年すでに開通されたフォーリンゲン - ユーバールール線および1863年に開通されたシュテーレン方面の路線と接続することとなった。1874年6月1日にユーバールール - ダールハウゼンおよびハッティンゲン - ヘルデッケ(現在ハーゲン・ヴォアハレ)間はBMEにより開業された[4]。1877年以降ヴェルデンでエッセン方面の鉄道が分岐する。

第二次世界大戦の間にケットヴィヒ鉄道橋がこの路線も旧ケットヴィヒ - ミュールハイム線も合わせて破壊された。両鉄道橋の中でこの路線の橋梁のみが復旧されて、ケットヴィヒ貯水池駅は臨時停車駅として設置されて、1953年5月にミュールハイム方面の列車との乗り換えが可能となった[5]。残りの鉄道橋は今まで改築されなかった。旅客列車運行は1959年にユーバールール - ダールハウゼン間で、1965年にヴェルデン - クプファードレー間で中止された。貨物列車運行はその二つの区間で1978年まで続いた。その後、二つの区間では線路が撤去された。

1970年5月23日に旅客列車がハッティンゲン - ヴェンゲルン東間で廃止された[6]。その区間の保存鉄道は1981年にボフム鉄道博物館が運営することとなった。1987年にハッティンゲン中駅方面の鉄道が開通されて、S3系統が延長された。

2004年にルール地域連合会(Regionalverband Ruhr)はルール地域観光鉄道(Touristik-Eisenbahn-Ruhrgebiet, TER)を設立して、ハッティンゲン - ヴェンゲルン東間を引き受けた[7]。2019年9月以来レイルフレックス社(Railflex GmbH)がボフム・ダールハウゼン鉄道博物館とともに観光列車路線を運営している[8]

運行形態

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Sバーン列車輸送の場合、この路線はライン=ルール運輸連合(Verkehrsverbund Rhein-Ruhr, VRR)運賃制の適用区間である[9]

旅客輸送

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  • S3: オーバーロード-ミュールハイム-エッセン - シュテーレ - ダールハウゼン - ハッティンゲン - ハッティンゲン中駅。30分ごと[10]
  • S6: ヴォーリンゲン - ニップルス - ケルン - レーヴァークーゼン - デュッセルドルフ - ヴェールハーン - 動物園駅 - デーレンドルフ - ラート中駅 - ラート - ラーティンゲン東駅 - ホェーゼル - ケットヴィヒ貯水池駅 - ケットヴィヒ - ヴェルデン - エッセン。20分ごと[11]
  • S9: ハーゲン-ヴッパータール - ホルトハウゼン - ユーバールール - シュテーレ - エッセン-ボットロープ - ヘルテン - ハルターン・アム・ゼー/ レックリングハウゼン。30分ごと。
  • 保存鉄道: ダールハウゼン - ハッティンゲン - ブランケンシュタイン - ヘルベーデ - ボンメルン - ヴェンゲルン東駅。

貨物輸送

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ハッティンゲン - ヴェンゲルン東間でDBカーゴは貨物運送・物流会社、ヘルベーデの金属廃棄処分・リサイクル場向けに貨物列車を運行する。

参考文献

[編集]
  • Klaus Dattenberg (2017). “Als Heisingen noch einen Bahnhof hatte. Erinnerung an die Eisenbahn von den Anfängen 1872 bis zur heutigen Zeit” (ドイツ語). Aus Heisingens-Vergangenheit 2 (Essen). ISSN 2365-2306. 
  • Bernd Franco Hoffmann (2015) (ドイツ語). Die Bergisch-Märkische Eisenbahn durch die täler von Wupper, Ruhr und Volme. Erfurt: Sutton-Verlag. ISBN 978-3-9540058-0-2 

外部リンク

[編集]

脚注

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  1. ^ (ドイツ語) Eisenbahnatlas Deutschland. Köln: Schweers + Wall. (2009). pp. 137~143. ISBN 978-3-89494-139-0 
  2. ^ “Officieller Anzeiger: Bergisch-Märkische-Eisenbahn” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 1): pp. 10, 11. (1870年1月7日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934039?page=28,29 
  3. ^ (ドイツ語) Bau und Ausrüstung der Bahn. Jahres-Bericht über die Verwaltung der Berisch-Märkischen Eisenbahn. Bergisch-Märkischen Eisenbahn. (1872). p. 5 . 1872年年鑑
  4. ^ “Verein Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 44): p. 483. (1874年6月5日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb11175343?page=514,515 
  5. ^ Geschichte: Von der Ruhrtalbahn zur S6” (ドイツ語). Günter Voss. 2024年4月30日閲覧。
  6. ^ Mittlere Ruhrtal-Bahn” (ドイツ語). Dirk Wiemann. 2024年4月30日閲覧。
  7. ^ Eisenbahn-Tourismus fördern” (ドイツ語). Regionalverband Ruhr. 2024年5月1日閲覧。
  8. ^ “Railflex übernimmt Fahrten nach Wengern Ost” (ドイツ語). Eisenbahn-Magazin (Nr. 10): p. 31. (2019). 
  9. ^ Linienpläne SPNV und Verbundraumkarte VRR: Schnellverkehrsplan VRR” (ドイツ語). Verkehrsverbund Rhein-Ruhr AöR. 2024年5月3日閲覧。
  10. ^ Elektronisches Kursbuch: Streckennummer 450.3” (ドイツ語). Deutsche Bahn AG. 2024年4月30日閲覧。
  11. ^ Elektronisches Kursbuch: Streckennummer 450.6” (ドイツ語). Deutsche Bahn AG. 2024年4月30日閲覧。