ルートヴィヒ・フォン・バーデン (1865-1888)
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ルートヴィヒ・フォン・バーデン Ludwig von Baden | |
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ツェーリンゲン家 | |
出生 |
1865年6月12日 バーデン大公国、バーデン=バーデン |
死去 |
1888年2月23日(22歳没) ドイツ帝国 バーデン大公国、フライブルク・イム・ブライスガウ |
埋葬 |
ドイツ帝国 バーデン大公国、カールスルーエ、大公家霊廟 |
父親 | バーデン大公フリードリヒ1世 |
母親 | ルイーゼ・フォン・プロイセン |
ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・カール・フリードリヒ・ベルトルト・フォン・バーデン(ドイツ語: Ludwig Wilhelm Karl Friedrich Berthold von Baden, 1865年6月12日 - 1888年2月23日)は、ドイツの旧諸侯バーデン大公家の一員。
生涯
[編集]バーデン大公フリードリヒ1世とその妻でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の娘であるプロイセン王女ルイーゼの間の第3子、次男として生まれた。兄フリードリヒ2世がバーデン大公家の家督を継ぎ、姉のヴィクトリアはスウェーデン王グスタフ5世の妃となった。地元のハイデルベルク大学で学び、スエヴィア・ハイデルベルク学生団(Corps Suevia Heidelberg)の一員となった。大学を出た後、軍務を始めてすぐに死去した。公式発表では肺炎により死亡したとされたが、本当の死因は決闘であったと言われている[1]。遺骸はカールスルーエの大公家霊廟(Großherzogliche Grabkapelle Karlsruhe)に葬られ、墓石の彫像は彫刻家ヘルマン・フォルツ(Hermann Volz)によって制作された[2]。
脚注
[編集]- ^ Wolf Ernst Hugo Emil Graf von Baudissin: Aus meiner Dienstzeit. Digitalisat
- ^ Beschreibung der Gruft