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ルーシー・ハンナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルーシー・ハンナ(Lucy Hannah、旧姓テレル〈Terrell〉およびブラウン〈Brown〉、1875年7月16日?〈または1895年8月12日〉 - 1993年3月21日)は、かつて世界で2番目の長寿とされたアメリカ合衆国黒人女性。

来歴

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ソロモン・テレルとサリー・エドワーズの娘として、アラバマ州に生まれる。成人後、ブラウン某と結婚するも死別。1943年10月1日デトロイト在住のトラック運転手のフレッド・ハンナと再婚する[1]。1993年3月21日、ミシガン州にて死去[2]

なお、生前の彼女の確かな写真は見つかっておらず、遺族の有無や消息も不明である[3]

長寿記録

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2003年社会保障局における社会保障身体障害保険(Social Security Disability Insurance / SSDI)の記録より、ハンナの年齢が長寿研究者から注目を集めた[3]。加えて、1880年の国勢調査において、4歳の黒人女児「ルーシー・テレル」の記録が存在した事から[4]、ハンナの117歳248日の没年齢が、2003年9月9日にジェロントロジー・リサーチ・グループ(GRG)によって認定された。

死没時にはアウグスタ・ホルツ(115歳79日没)の年齢を上回り、アメリカにおける史上最高齢の人物とされた。同時に、(ハンナより5カ月年長とされた)ジャンヌ・カルマンに次ぐ人類史上2番目の長寿記録保持者とみなされた[注釈 1]

疑義

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2015年、結婚記録などの新資料が判明して以降、以下の疑問点が挙がった[3]

  • 前述の1880年の国勢調査はマレンゴ郡であり、しかも「ルーシー」の祖父母の記録は有るが、両親の記録は無い[4]
  • 一方、ルーシー・ハンナの出身地であるエルモア郡における同年の国勢調査には、ソルおよびサリー・テレル(「Terrill」と誤記)夫妻、並びに3人の子供の記録が存在するが、「ルーシー」の名前は無い
    • 故に、マレンゴ郡の「ルーシー・テレル」は同姓同名の別人と考えられる
  • 1930年の国勢調査では、ルーシー・ブラウン(最初の夫の姓)は36歳と記録されている
  • 1943年オハイオ州の結婚記録では、ルーシー・ブラウンは1895年8月12日生まれと記載されている[1][注釈 2]

2020年12月、GRG理事のロバート・ヤングおよび同管理者のヴァツワフ・ヤン・クロチェクによって、ルーシー・ハンナの117歳没の認定が取り下げられた[3][注釈 3]。これにより、同年末時点でのアメリカ史上2番目の長寿者はスザンナ・マシャット・ジョーンズ、黒人の歴代最長寿者はヴァイオレット・ブラウンとなった。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1998年5月にサラ・ナウスによって記録が破られ、以後アメリカで史上2番目に長寿の人物並びに人類史上3番目の長寿記録保持者とされた。その後、2018年4月に田島ナビが、2020年9月には田中カ子がハンナの記録を更新している。
  2. ^ 同記録に記載された夫のフレッド・ハンナ(1895年7月16日生まれ、当時48歳)の生年月日は、1942年召集令状でも裏付けられている。なお、ルーシーが1875年生まれであれば、彼女は当時68歳となる。
  3. ^ ハンナが1895年8月12日生まれであれば、没年齢は97年221日である。

出典

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  1. ^ a b 1943年のハンナ夫妻の結婚記録(Wikimedia Commons)
  2. ^ Table B - Verified Supercentenarians (Ranked By Age)” (英語). Gerontology Research Group (2014年1月1日). 2022年5月29日閲覧。
  3. ^ a b c d Young, Robert; Kroczek, Waclaw Jan (2020). Maier, Heiner; Jeune, Bernard; Vaupel, James W.. eds. “Age 115+ in the USA: An Update” (英語) (PDF). Exceptional Lifespans (Cham, Switzerland: Springer Nature Switzerland AG.): 340–343. doi:10.1007/978-3-030-49970-9_22. ISBN 978-3-030-49970-9. ISSN 2197-9286. https://link.springer.com/content/pdf/10.1007/978-3-030-49970-9.pdf. 
  4. ^ a b 1880年の国勢調査調査(Wikimedia Commons)