ルーサー・ギューリック
ルーサー・ハルシー・ギューリック (Luther Halsey Gulick、1892年1月17日 - 1993年1月10日) は、アメリカの行政学者。所謂正統派行政学者の第一人者であり、組織管理の手法をPOSDCORBとして定式化したことでも知られる。
来歴
[編集]会衆派教会宣教師の父シドニー(1860年 - 1945年)と母クララとの間に大阪府で生まれる。ギューリック家は宣教師一家で、曽祖父のピーター・ギューリックはハワイ王国で初めて布教を行った人物の1人とされる。また、叔父で同名のルーサー・ギューリックはYMCAに関わる傍ら体育学者としても活躍、キャンプファイアUSAを設立した。
1914年にオベリン大学を卒業後、1920年にはコロンビア大学にてPh.D.を取得。1931年から1942年にかけてコロンビア大学で教鞭を執るが、この間、1936年から1938年までフランクリン・デラノ・ローズヴェルト大統領(当時)直属の行政管理に係る委員会で委員となる。その後1954年から3年間にわたりニューヨーク市の市政行政官を務める[1]。
こうして理論・実務の両面から行政に携わる中で、組織管理者にとってその運営に必要不可欠な7つの要素(計画 Planning、組織 Organizing、人事 Staffing、指揮 Directing、調整 Coordinating、報告 Reporting、予算 Budgeting)について、その頭文字を取ってPOSDCORBという造語を編み出した[2]ほか、政治と行政との分離が声高に叫ばれていた時代にあって、両者は不可分との論陣を張った。
また、第二次世界大戦中はケインジアンの立場から、経済学者アルヴィン・ハンセンと連れ立ちケインズ本人に直談判し、戦後における国際経済の制度設計に関し助言を行った[3]。
1993年1月10日、バーモント州グリーンズボロにて死去。100歳。生涯2度の結婚歴があり、最初の妻ヘレン・スウィフトとは1969年に死別した後、キャロル・W・モフェットと再婚(モフェットは1989年に死去)、2人の子を儲けた[1]。
著書
[編集]- Evolution of the Budget in Massachusetts (1920年)
- Administrative Reflections from World War II (1948年)
- American Forest Policy (1951年)
- The Metropolitan Problem and American Ideas (1962年)
脚注
[編集]- ^ a b Jacques Steinberg (January 11, 1993). “Dr. Luther H. Gulick, 100, Dies; Adviser to Roosevelt and Mayors”. New York Times May 9, 2010閲覧。
- ^ Brian J. Cook (1996). Bureaucracy and self-government: reconsidering the role of public administration in American politics. JHU Press. p. 109. ISBN 9780801854101
- ^ Donald Markwell (2006). John Maynard Keynes and International Relations: Economic Paths to War and Peace. Oxford University Press. ISBN 9780198292364