コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ルハマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルハマ

רֻחָמָה

地図
ルハマの位置(アシュケロン地域(イスラエル)内)
ルハマ
ルハマ
ルハマの位置(イスラエル内)
ルハマ
ルハマ
座標:北緯31度29分48.04秒 東経34度42分20.3秒 / 北緯31.4966778度 東経34.705639度 / 31.4966778; 34.705639座標: 北緯31度29分48.04秒 東経34度42分20.3秒 / 北緯31.4966778度 東経34.705639度 / 31.4966778; 34.705639
イスラエルの旗 イスラエル
地区 南部地区
評議会 シャアール・ハネゲフ英語版
所属 キブツ運動英語版
成立 1911 (当初の集落)
1944 (現在の集落)
創設者 ハショマー・ハツァイル英語版など
人口
(2019年)
689[1]
名の由来 「慈悲」

ルハマ(Ruhama、ヘブライ語: רֻחָמָה‎ =「慈悲」の意)は、イスラエル南部のネゲヴの砂漠地帯に位置するキブツ1911年に建設された当初の集落は、ネゲヴにおける近代では最初のユダヤ人集落とされた[2]スデロットの東方10kmほどの位置の、自然保護区に囲まれた場所にあり、行政区画の上ではシャアール・ハネゲフ地域評議会英語版に属する。2018年時点の人口は、687人。

歴史

[編集]

ルハマが最初に建設されたのは1911年のことで、その土地は同年に、イマヌエル・ヴェリコフスキーの父であったシモン・ヴェリコフスキー (Simon Velikovsky) がモスクワで組織したロシアのユダヤ人の団体シュリート・イスラエルヘブライ語版によって購入されたもので[3]、この団体はイスラエルの地のユダヤ人農業入植地に投資をしていた。集落名は聖書ホセア書第1章6節にある、ホセア英語版が神から娘の名とするよう命じられた名「ロルハマ (Lo-Ruhamah)」、すなわち「慈悲なし」に由来し[4]、同じく2章23節の「あわれまれぬ者をあわれみ (And I will have mercy upon her that had not obtained mercy)」を踏まえている[5]。「1912年には自噴する掘抜き井戸が掘削され、地下50mから豊富な量の水を得ることができるようになった」とされる[3]。入植者たちの中には、社会主義者シオニズム運動家だったハショマー・ハツァイル英語版もいた。しかし、最初に入植した人々は、1917年オスマン帝国によって追放されてしまった。この最初の集落があった場所には、老朽化した博物館の建物しか残っていない[2]

しかし、掘り抜き井戸があったために、エドモンド・アレンビー将軍指揮下の連合軍は、ルハマに司令部の拠点を置き、そこから「イギリス陸軍とユダヤ系アメリカ人軍団によるパレスチナの制圧 (the British Army and the Jewish-American Legion conquered Palestine)」をおこなった[3]

ハショマは、ルハマの農場を、ガザベエルシェバ線に沿った前線基地と位置付けていた[6]

イギリス委任統治領パレスチナの時代には、集落を再興しようとする動きが2度企てられたが、1929年嘆きの壁事件1936年パレスチナ独立戦争におけるアラブ人たちの動きによって計画は頓挫した。1944年に、ようやくキブツが再創設され、人口は399人まで増えた。

2006年の映画Sweet Mud』は、ルハマとニル・エリヤフ英語版で撮影された[7]

2006年、若手の比較的自由主義的なルハマの住民たちがシナゴーグの建設を企てたが、高齢の、断固たる共産主義者の論客たちによって阻止された[8]。その後、2012年に至って、ガザの近くでミサイル攻撃によって殺された少年の名を冠したシナゴーグが、ルハマに建てられた。

脚注

[編集]
  1. ^ Population in the Localities 2019” (XLS). Israel Central Bureau of Statistics. 16 August 2020閲覧。
  2. ^ a b Kna'ani, Eliyahu (1981) (ヘブライ語). Ruhama, the first Jewish settlement in the Negev. Yad Ben Zvi. http://lib.cet.ac.il/pages/item.asp?item=13004 2007年9月18日閲覧。 
  3. ^ a b c Velikovsky, Immanuel (1946) The Story of Ruhama New York Times, 19 September 1946
  4. ^ Place Names in Israel. A Compendium of Place Names in Israel compiled from various sources. Translated from Hebrew, Jerusalem 1962 (Israel Prime Minister’s Office. The Israeli Program for Scientific Translations) p. 167 (Location of the book: Ben Zvi Institute Library, 12 Abarbanel St., Jerusalem; in the online-catalogue: [1]
  5. ^ Carta's Official Guide to Israel and Complete Gazetteer to all Sites in the Holy Land. (3rd edition 1993) Jerusalem, Carta, p. 403, ISBN 965-220-186-3 (English)
  6. ^ Goldstein, Yaacov N. and Jacob (1998). From Fighters to Soldiers: How the Israeli Defense Forces Began. Sussex Academic Press, Israel. pp. 68. ISBN 1-902210-01-8 
  7. ^ “Sweet Mud sheds new light on old kibbutz life”. Ynetnews. (2006年11月13日). http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-3327428,00.html 
  8. ^ “No shuls, please, we're atheists. Kibbutz Ruhama founders torpedo synagogue plan”. The Jerusalem Post. (2006年11月3日). オリジナルの2012年10月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121019130443/http://www.highbeam.com/doc/1P1-130803478.html 

外部リンク

[編集]
  • Ruhama - Negev Information Centre