ルトノ・マルスディ
ルトノ・マルスディ Retno Marsudi | |
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生年月日 | 1962年11月27日(61歳) |
出生地 | インドネシア、中部ジャワ州、スマラン |
出身校 |
ガジャ・マダ大学 ハーグ応用科学大学 |
現職 | 外交官、政治家 |
所属政党 | 無所属 |
配偶者 | アグス・マルスディ |
子女 |
ディオタ・マルスディ バガス・マルスディ |
親族 |
モク・シディク(父) ルトノ・ウェルディニンシ(母) |
在任期間 | 2014年10月27日 - |
大統領 | ジョコ・ウィドド |
在オランダインドネシア大使 | |
在任期間 | 2011年12月21日 - 2015年1月16日 |
在任期間 | 2005年 - 2008年 |
ルトノ・マルスディ(インドネシア語: Retno Marsudi, 1962年11月27日 - )は、インドネシアの政治家、外交官。同国第17代外務大臣。在オランダインドネシア大使、在ノルウェー及びアイスランドインドネシア大使を務めた。
経歴
[編集]1962年11月27日にインドネシア、中部ジャワ州、スマランにて、高校教師で退役軍人のモク・シディクと、高校職員のルトノ・ウェルディニンシの5人兄弟の長女として誕生する[1]。スマランSMAN3卒業後、国際関係学を専攻し、1985年ガジャ・マダ大学卒業。その後、ハーグ応用科学大学で国際欧州法・政策の修士号を取得し、クリンゲンダール研究所で外務省研修プログラムに参加、大学卒業後には外務省に入省。1997年から2001年まで、オランダ、デン・ハーグのインドネシア大使館で経済担当一等書記官を務める。2001年、欧米担当部長に任命され、2003年には西欧担当部長に昇進。2005年、マルスディは駐ノルウェー及びアイスランドインドネシア大使に任命された[2]。在任中の2011年12月には、インドネシア人として初めてノルウェー王国功労勲章を受章した[3]。また、短期間ながらオスロ大学で人権の研究を行った。マルスディはジャカルタに戻り、欧米担当局長に任命された。2011年、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領より駐オランダインドネシア大使に任命される。また、欧州連合、アジア欧州会合、アジア中南米協力フォーラムとのさまざまな多国間交渉や二国間協議を主導してきた。2014年10月27日、マルスディはジョコ・ウィドド大統領内閣で外務大臣に任命された[4]。2019年10月、インドネシア前進内閣でジョコ・ウィドド大統領により外務大臣に再任され、2期目を務める。2021年、マルスディは、カリナ・グルド、リア・タデッセとともに、COVAX事前買取制度関与グループの共同議長に任命された。事前買取制度は、92の中低所得国のCOVAXファシリティーへの参加を支援し、新型コロナウイルス感染症ワクチンへのアクセスを確保するために設立された融資手段である。2023年、マルスディはインドネシアに新設された東南アジア諸国連合ミャンマー特使事務所を率い、5点合意の実施を推進するとともに、現在進行中のミャンマー内戦における「すべての利害関係者」と対話し、危機の解決策を見出すよう努めた。しかし、在任が終わるころには、ミャンマーにおける暴力の終結にほとんど影響を与えることはできなかった[5]。
脚注
[編集]- ^ “Retno Marsudi” (インドネシア語). Kompaspedia (2020年7月17日). 2024年1月3日閲覧。
- ^ “Ambassador Retno Marsudi to Strengthen Indonesia-Netherlands Special Ties”. Embassy of the Republic of Indonesia, The Hague. (2012年1月13日). オリジナルの17 September 2016時点におけるアーカイブ。 2016年9月4日閲覧。
- ^ “Retno Marsudi, Menlu Perempuan Pertama Indonesia”. bisnis.com. 11 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。9 January 2015閲覧。
- ^ “Delapan "Srikandi" di Kabinet Kerja Diapresiasi”. kompas.com (27 October 2014). 9 January 2015閲覧。
- ^ Visapra, Phontham (9 January 2024). “Laos Appoints Alounkeo Kittikhoun as ASEAN Special Envoy to Myanmar”. Laotian Times 7 June 2024閲覧。