ルキウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前130年の執政官)
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ルキウス・コルネリウス・レントゥルス L. Cornelius — f. — n. Lentulus | |
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出生 | 不明 |
死没 | 紀元前130年 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | コルネリウス氏族 |
官職 |
法務官(紀元前136年?) 執政官(紀元前130年) |
指揮した戦争 | 第一次奴隷戦争? |
ルキウス・コルネリウス・レントゥルス(ラテン語: Lucius Cornelius Lentulus、-紀元前130年)は、紀元前2世紀中期・後期の共和政ローマの政治家。紀元前130年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]レントゥルスはエトルリアに起源を持つパトリキ(貴族)であるコルネリウス氏族の出身であるが、コルネリウス氏族はローマでの最も強力で多くの枝族を持つ氏族でもあった[1][2]。レントゥルスのコグノーメン(第三名、家族名)が最初に確認できる人物は、紀元前327年の執政官ルキウス・コルネリウス・レントゥルスであるが、コルネリウス氏族の他の枝族との関係は不明である[3]。
カピトリヌスのファスティに破損があるため[4]、レントゥルスと祖父のプラエノーメン(第一名、個人名)は不明であり、他のレントゥルス家の人物との関係も不明である。
経歴
[編集]執政官就任年とウィッリウス法の規定から逆算して、レントゥルスは遅くとも紀元前134年にプラエトル(法務官)に就任したはずである。紀元前136年に法務官としてシキリア属州の総督を務め、第一次奴隷戦争で敗北したコルネリウス・レントゥルス[5]と同一人物の可能性がある。紀元前130年には執政官に就任する[6]。同僚はプレブス(平民)のマルクス・ペルペルナであった。ペルペルナはペルガモン王国の王位詐称者、アリストニコスとの戦いのために、小アジアへ遠征した。レントゥルスはローマに留まったが、執政官任期の満了前に死去した。補充執政官にアッピウス・クラウディウス・プルケル(またはネロ)が就任した。
脚注
[編集]参考資料
[編集]古代の資料
[編集]- カピトリヌスのファスティ
- フロルス『700年全戦役略記』
研究書
[編集]- Bobrovnikova T. "Scipio African" - M .: Young Guard, 2009. - 384 p. - ISBN 978-5-235-03238-5 .
- Broughton R. Magistrates of the Roman Republic. - New York, 1951. - Vol. I. - P. 578.
- Haywood R. "Studies on Scipio Africanus" - Baltimore, 1933.
- Münzer F. Cornelii Lentuli // RE. - 1900. - Bd. VII. - Kol. 1355-1360.
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 ルキウス・ウァレリウス・フラックス プブリウス・リキニウス・クラッスス・ディウェス・ムキアヌス |
執政官 同僚:マルクス・ペルペルナ 紀元前130年 |
次代 ガイウス・センプロニウス・トゥディタヌス マニウス・アクィッリウス |