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ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギ
L. Calpurnius L. f. C. n. Piso Frgi
出生 紀元前182年ごろ
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 カルプルニウス氏族
官職 護民官紀元前149年
法務官紀元前136年
執政官紀元前133年
監察官紀元前120年
指揮した戦争 第一次奴隷戦争
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ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギラテン語: Lucius Calpurnius Pisō Frugi紀元前182年ごろ[1] - 没年不詳)は、紀元前2世紀中期・後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前133年執政官(コンスル)を、紀元前120年監察官(ケンソル)を務めた。

出自

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ピソはプレブス(平民)であるカルプルニウス氏族の出身である。最も古い氏族のひとつであり、第2代ローマ王ヌマ・ポンピリウスの息子カルプス (Calpus) を始祖としているとされる(ヌマの子孫と称する氏族は他にピナリウス氏族ポンポニウス氏族アエミリウス氏族がある)[2]。氏族で最初に執政官となったのは、ガイウス・カルプルニウス・ピソ紀元前180年のことであった。カピトリヌスのファスティによると、ピソの父のプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウス、祖父はガイウスである[3]

経歴

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ピソに関する最も古い記録は紀元前149年護民官に就任したことである[4]。このとき属州における最初の財物強要に関する法案を提唱し、この法案は成立した。結果、この種の事件を審査するための特別司法委員会が設立されている。

紀元前136年にはプラエトル(法務官)に就任する。シキリア属州の総督として赴任するが、奴隷の反乱が発生した(第一次奴隷戦争)。戦況はローマ軍に不利で、ピソは野営地を反乱軍に占領されたこともあった[5]

紀元前133年、ピソは執政官に就任、同僚は同じくプレブスプブリウス・ムキウス・スカエウォラであった[6]。ピソは再びシキリアに出征し、今度は勝利を見た。彼は軍規を厳しくして兵士の士気を回復し、マメルティン要塞(場所不明[7])を強襲、そこで9,000人の逃亡奴隷を殺害した[8]。続いて反乱の発生地であるエンナを包囲するが陥落させることはできず、後任であるプブリウス・ルピリウスに指揮権を引き渡した[9]

その後の数年間、ピソはガイウス・センプロニウス・グラックス(グラックス弟)の主要な政敵の一人であり、特に穀物法に反対していた。キケロは、これに関するエピドードを残している。この穀物法が成立した後、グラックスは安価な穀物を購入に来た群衆の中にピソがいるのを見つけた。グラックスはピソに何故考えを変えてここに来たのかと訪ねたが、ピソは「グラックスよ、君が皆に分配することは望まない。が、君がこの法律を成立させ、法は人によらず公平であるべきだ。だから私はここに来た[10]

紀元前120年には監察官に就任した[9]

ピソはその正直な人柄のため、フルギ(正直)のアグノーメン(愛称)を得ている[11]

知的活動

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ピソはその人生の終盤に『年代記(Annals)』を著述している。現在は45の断片が残るのみである。キケロはこの年代記の文章を、味気がないと評しているが[12]、どうやらピソは優雅な文体には興味がなかったようだ。年代記はアイネイアースの時代からカルタゴ陥落までを記述していた。この年代記はマルクス・テレンティウス・ウァロハリカルナッソスのディオニュシオスティトゥス・リウィウスガイウス・プリニウス・セクンドゥスが参考資料として使っており、アウルス・ゲッリウスも引用している[13]

ピソはしばしば法廷に立っていた。彼はまた自分の演説集を出版していたが、紀元前46年にキケロが『ブルトゥス』や『雄弁家について』を出版したころには、彼は誰からも忘れ去られていた[12]

子孫

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ピソには同名の息子がおり、紀元前112年に法務官を務めている[14]

脚注

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  1. ^ Perseus Project - 1987.
  2. ^ プルタルコス対比列伝ヌマ・ポンピリウス』、21
  3. ^ カピトリヌスのファスティ
  4. ^ Broughton, 1951, p. 459.
  5. ^ フロルス『700年全戦役略記』、II, 7, 7.
  6. ^ Broughton, 1951 , p. 492.
  7. ^ オロシウス『異教徒に反論する歴史』、V, 9, 6.
  8. ^ オロシウス『異教徒に反論する歴史』、V, 87.
  9. ^ a b Calpurnius 96, 1897, s. 1392.
  10. ^ キケロ『トゥスクルム荘対談集』、III, 48.
  11. ^ キケロ『トゥスクルム荘対談集』、III, 16-17.
  12. ^ a b キケロ『ブルトゥス』、106
  13. ^ Albrecht 2002 , p. 424.
  14. ^ Calpurnius 97, 1897.

参考資料

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古代の資料

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研究書

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  • Albrecht M. History of Roman Literature. - M .: Greco-Latin office, 2002 .-- T. 1. - 704 p. - ISBN 5-87245-092-3 .
  • Broughton R. Magistrates of the Roman Republic. - New York, 1951. - Vol. I. - P. 600.
  • Münzer F. Calpurnius 96 // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1897. - Bd. III, 1. - Kol. 1392-1395.
  • Münzer F. Calpurnius 97 // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft . - 1897. - Bd. III, 1. - Kol. 1395.

関連項目

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公職
先代
ガイウス・フルウィウス・フラックス
プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アエミリアヌス II
執政官
同僚:プブリウス・ムキウス・スカエウォラ
紀元前133年
次代
プブリウス・ポピッリウス・ラエナス
プブリウス・ルピリウス


公職
先代
グナエウス・セルウィリウス・カエピオ
ルキウス・カッシウス・ロンギヌス・ラウィッラ
紀元前125年 LX
監察官
同僚:クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・バリアリクス
紀元前120年LXI
次代
ルキウス・カエキリウス・メテッルス・ディアデマトゥス
グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス
紀元前115年 LXII