ルイ・ラゲール
ルイ・ラゲール Louis Laguerre | |
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ルイ・ラゲールが壁画を描いたブレナム宮殿のサロン | |
生誕 |
1663年 フランス、ヴェルサイユ |
死没 |
1721年4月20日 イギリス、ロンドン |
ルイ・ラゲール(Louis Laguerre、1663年 - 1721年4月20日)はフランス生まれの画家である。1683年にイギリスに渡り、おもにイギリス貴族の邸宅の装飾画を描いた。
略歴
[編集]フランスのヴェルサイユで生まれた。父親はフランス国王ルイ14世に重用されたカタルーニャ出身の廷臣で[1]、ルイ・ラゲールはパリのイエズス会の学校で学んだ後、王立絵画彫刻アカデミーで、シャルル・ルブラン(1619-1690)に学んだ[2]。1683年の終わりにイギリスに渡り、イタリア生まれで1860年代からイギリスで働いていたアントニオ・ヴェッリオ(1636-1707)の弟子になり、初代バーリー男爵のカントリーハウス(Burghley House)やデヴォンシャー公爵のチャッツワース・ハウス(Chatsworth House)の装飾画を描いた。
すぐに装飾画家としての評判はアントニオ・ヴェッリオを上回るようになり、イギリス有数の装飾画の画家となった。ロンドンのマールバラハウス(Marlborough House)などのタウンハウスやウェスト・サセックスのペトワース・ハウス(Petworth House)やダービーシャーのサドベリー・ホール(Sudbury Hall)などの装飾画を描いた。代表作は1719年から1720年にかけて描いたマールバラ公爵のブレナム宮殿のサロンの装飾画とされる。1710年ころから、ジェームズ・ソーンヒル(1675-1734)が装飾画家として高い評価を得るようになると、歴史画や肖像画を描くようになった。
主席宮廷画家のゴドフリー・ネラーが創立したネラー・アカデミー(Kneller Academy of Painting and Drawing)の校長も務めた。
1721年にロンドンで亡くなった。息子のジョン(John Laguerre: 1688-1748)は画家としても働いたがJohn LagardeやJohn Legarの芸名で歌手、俳優、舞台芸術家として働いた。ルイ・ラゲールは息子の劇を観劇中に劇場で、脳卒中で倒れ、亡くなったとされる。
作品
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デヴォンシャー・ハウスの装飾画、「プロセルピナの略奪」(c.1704)
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肖像画、ウィリアム・カドガン (初代カドガン伯) (c.1716)
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チャッツワース・ハウスの装飾画
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チャッツワース・ハウスの装飾画
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マルプラケの戦い(c.1713)
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"Psyche Giving Gifts to her Sisters"
脚注
[編集]参考文献
[編集]- The Oxford Dictionary of Art and Artists. Oxford University Press, Oxford 2009. ISBN 978-0-19-953294-0, S. 339
- Ellis Kirkham Waterhouse: Painting in Britain, 1530 to 1790. Yale University press, New Haven 1994. ISBN 0-300-05832-2, S. 126–127
- Lionel Henry Cust: Laguerre, Louis, in: Dictionary of National Biography. Volume XXXI. Macmillan, Smith, Elder & Co., London und New York 1892, S. 397