ルイ・ド・ブローニュ
ルイ・ド・ブローニュ Louis de Boullogne | |
---|---|
Gilles Allouによる肖像画 | |
生誕 |
1654年11月19日 パリ |
死没 |
1733年11月2日(78歳没) パリ |
ルイ・ド・ブローニュ(Louis de Boullogne II、1654年11月19日 - 1733年11月21日)は、フランスの画家。フランス王室の筆頭画家になり、聖書や神話を題材にした作品を描いた。画家の同名の父親(Louis Boullogne、別名 Louis le père: 1609-1674)と区別するために。「Boullogne fils(ブローニュの息子)」や「Boullogne le Jeune(若いほうのブローニュ)」とも呼ばれる。
略歴
[編集]パリで、同名の画家ルイ・ブローニュの息子に生まれた。姉と兄に画家になったジュヌヴィエーヴ・ブローニュ(Geneviève Boullogne: 1645-1708)とマドレーヌ・ブローニュ(Madeleine Boullogne: 1646-1710)、ボン・ブローニュ(Bon Boullogne: 1649-1717)がいる。父親は兄弟が画家として競うことを嫌い、ルイが画家になることに反対したが、それでも兄と王立絵画彫刻アカデミーに通い、17歳になった、1676年にアカデミーのローマ賞を受賞し、ローマへ留学した。兄もローマに留学していてその年、帰国していた。ローマではラファエロ・サンティの『アテナイの学堂』や『聖体の論議』といった作品を模写して、修行し、これらの模写は、フランスで王室のゴブラン織のタペストリーのデザインに採用された。
1680年に、ロンバルディアとヴェネツィアを経てパリに戻り、すぐにパリで高い評価を得た。 1681年にアカデミーの会員に選ばれた。1685年と1695年に、パリのノートルダム大聖堂に寄贈される作品(Mays de Notre-Dame)の作者に選ばれた。
1708年にジュール・アルドゥアン=マンサールが没した後、兄のボン・ブローニュとともにシャルル・ド・ラ・フォッス(1636-1716)の助手としてオテル・デ・ザンヴァリッドの装飾画を制作した。
1722年にフランス文学院(Académie des inscriptions et belles-lettres)のメダルのデザインをし、王室からの報酬が増額され、勲章が与えられた。1723年にアカデミーの学長(recteur)に任じられ、1724年に王室筆頭画家(premier peintre du roi)に任じられ、爵位が与えられた。1725年にアカデミーの校長(directeur)に任じられ、この仕事を亡くなるまで続けた。ブローニュに学んだ学生にはMichel de Cornicalや Louis Galloche、Jacques Courtinらがいる。
1733年にパリで亡くなった。1688年2月に結婚し4人の子供が生まれた。孫に版画家、著作家、考古学者となったジャン=クロード・リシャールがいる。
聖書や神話を題材にした作品を描いた。
作品
[編集]-
ダビデにパンを捧げる侍女たち
-
セレス(夏の寓意)
-
トゥールーズ伯の肖像画
-
イエスの神殿奉献
-
ヤヌス神殿の扉を閉めるアウグストゥス
-
『風を解き放つようアイオロスにたのむユーノー』
-
ウラニアとメルポメネ
参考文献
[編集]- Amédée de Caix de Saint-Aymour, Les Boullongne : une famille d’artistes et de financiers aux XVIIe et XVIIIe siècles, Ed. Henri Laurens, Paris, 1919.
- Antoine Schnapper et Helene Guicharnaud, Louis de Boullogne, 1654-1733, Paris, Galerie de Bayser, coll. « Cahiers du dessin français » (no 2), 1986, 52 p. (ISBN 2-205-67200-2).
- Ferdinand Hoefer, Nouvelle Biographie générale, t. 7, Paris, Firmin-Didot, 1857, p. 13-4. Document utilisé pour la rédaction de l’article