李鉄
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名前 | ||||||
カタカナ | リー・ティエ | |||||
ラテン文字 | LI Tie | |||||
中国語 | 李铁/李鐵 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 中華人民共和国 | |||||
生年月日 | 1977年9月18日(47歳) | |||||
出身地 | 遼寧省瀋陽市 | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2003 | 遼寧 | 82 | (0) | |||
2002-2003 | → エヴァートン (loan) | 29 | (0) | |||
2003-2006 | エヴァートン | 5 | (0) | |||
2006-2008 | シェフィールド・ユナイテッド | 0 | (0) | |||
2008 | 成都天誠 | 24 | (1) | |||
2009-2011 | 遼寧宏運 | 46 | (1) | |||
通算 | 186 | (19) | ||||
代表歴 | ||||||
1995–2007 | 中国 | 92 | (6) | |||
監督歴 | ||||||
2015-2016 | 河北華夏幸福 | |||||
2017-2019 | 武漢卓爾 | |||||
2019-2021 | 中国 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
李鉄(リー・ティエ、漢音読み: り てつ、簡体字: 李铁、繁体字: 李鐵、ピンイン: Lǐ Tiĕ、1977年9月18日 - )は、中華人民共和国の元プロサッカー選手。元中国代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
来歴
[編集]中国が初出場した2002年のFIFAワールドカップでグループリーグ3試合にフル出場するなど、中国代表の中心選手であった。ワールドカップ終了後は李瑋峰と共にイングランド・プレミアリーグのエヴァートンFCへ移籍、中国人初のプレミアリーガーでもある[1]。2002/2003シーズンは公式戦33試合に出場、監督モイーズの信頼を勝ち取り、トーマス・グラベセンとボランチを組みレギュラーとして活躍した。しかし2004年2月の代表合宿で骨折し[2]約1年間離脱、その後エバートンを退団するまで2年半公式戦出場はゼロだった。2006年プレミアリーグのシェフィールド・ユナイテッドへと移籍したが2年間で公式戦出場1試合と出場機会に恵まれず、2008年、成都謝菲聯に移籍した。2012年に古巣の遼寧足球倶楽部で現役を引退したが、怪我の為2010年が最後の試合出場となった。
引退後は広州恒大足球倶楽部、河北華夏幸福足球倶楽部などでコーチや監督を歴任している。
2020年から前年に辞任したマルチェロ・リッピの後任として中国代表監督に就任している[3]。2021年末に2022年のFIFAワールドカップへの出場が難しくなったため辞任した後、2022年11月に「重大な法律違反」の疑いにより中国当局の調査を受けた[4]。後の報道によると、2019年の中国サッカー・スーパーリーグの試合で、武漢卓爾の監督として試合相手の天津天海と八百長を行なった疑いがある。関係する天津天海のゴールキーパーだった張鷺なども調査を受けた[5]。2023年8月2日、贈収賄などの罪で起訴されたことが報じられた[6]。
エピソード
[編集]2011年、中国網の取材に対し中国のサッカーのレベルがアジアにおいてすら二流の状態である事を嘆く一方で、約10年後には中国が、日本やオーストラリアを「追い越すのは難しいが、対等に戦えるまでにはなるだろう」と発言した。中国代表チームのランキングの低さにより、ヨーロッパのサッカーリーグで活躍している中国人選手がいない事を挙げ、中国代表がワールドカップに出場する事の重要性にも触れている[1]。
現役時代は「走っても死なない(跑不死)」と称されスタミナ豊富な守備的MFとして活躍した[7]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 遼寧 | Cリーグ | 0 | 0 | |||||||
1999 | 24 | 0 | |||||||||
2000 | 30 | 25 | 0 | ||||||||
2001 | 30 | 26 | 0 | ||||||||
2002 | 30 | 7 | 0 | ||||||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2002-03 | エバートン | 12 | プレミアリーグ | 28 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 32 | 0 |
2003-04 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | |||
2004-05 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2005-06 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2006-07 | シェフィールドUtd | 30 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2007-08 | チャンピオンシップ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 成都謝菲聯 | 8 | Cリーグ | 24 | 1 | ||||||
2009 | 遼寧 | 33 | 11 | 1 | |||||||
通算 | 中国 | 1部 | 82 | 0 | |||||||
イングランド | 1部 | 34 | 0 | ||||||||
イングランド | 2部 | 0 | 0 | ||||||||
総通算 | 116 | 0 |
監督成績
[編集]- 2021年12月3日現在
クラブ | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
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試 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | ||||
河北足球 | 2015年8月18日 | 2016年8月27日 | 36 | 20 | 6 | 10 | 55.56 | |
武漢足球 | 2017年11月16日 | 2020年1月1日 | 62 | 31 | 17 | 14 | 50.00 | |
中国代表 | 2019年10月31日 | 2021年12月3日 | 12 | 6 | 1 | 5 | 50.00 | |
合計 | 110 | 57 | 24 | 29 | 51.82 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- 遼寧宏運足球倶楽部
- 中国サッカー・甲級リーグ:1回(2009)
- 中国サッカー・スーパーカップ:1回(1999)
- 個人
- 中国サッカー・甲級リーグMVP:1回(2001)
- 中国サッカー・甲級リーグベストイレブン:1回(2001)
監督時代
[編集]- 武漢卓爾足球倶楽部
- 中国サッカー・甲級リーグ:1回(2018)
- 個人
- 中国サッカー・甲級リーグ年間最優秀監督:1回(2018)
脚注
[編集]- ^ a b “中国サッカー選手「わが国は10年内に日本に追いつく」”. サーチナ (2011年10月8日). 2011年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月9日閲覧。
- ^ “李铁与杨璞相撞受重伤 右腿骨裂确定无缘中科之战”. sports.people.com.cn. 人民日報. 2018年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月26日閲覧。
- ^ “中國足協任命李鐵為國家男子足球隊主教練”. ah.people.com.cn. 人民日報. 2021年9月8日閲覧。
- ^ “サッカー代表前監督を調査 中国当局、「重大な法律違反」疑い”. 時事ドットコム (2022年11月26日). 2022年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月26日閲覧。
- ^ 中国新闻周刊 (2022年12月1日). “国足前主帅李铁被带走后,供出三名国脚” (中国語). news.sina.com.cn. 2022年12月8日閲覧。
- ^ “サッカー中国代表元監督を起訴 贈収賄の罪で”. 時事通信. (2023年8月2日) 2023年8月3日閲覧。
- ^ “「李鉄を信じろ!」。サッカー協会が全幅の信頼を寄せる中国代表監督 - KEGEN PRESS” (2021年9月7日). 2021年9月8日閲覧。