コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

リーズデイル男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リーズデイル男爵(第2期)
Baron Redesdale

紋章記述[注釈 1]

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Argent a Fess between three Moles Sable (Mitford); 2nd and 3rd, Azure three Lozenges conjoined in fess Or a Canton Ermine (Freeman) Crests:1st: two Hands couped at the wrist proper grasping a Sword erect piercing a Boar's Head erased Sable (Mitford); 2nd: a Demi Wolf Argent charged on the shoulder with a Fess dancetty Gules and holding between the paws a Lozenge Or (Freeman) Supporters:On either side an Eagle wings expanded Sable beaked and membered Or charged on the breast with a Lozenge also Or and gorged with a wreath of Shamrock Vert
創設時期1902年7月22日
創設者エドワード7世
貴族連合王国貴族
初代初代男爵アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード
現所有者6代男爵ルパート・ミットフォード英語版
相続人バートラム・ミットフォード閣下
付随称号なし
現況存続
モットーGod Careth For Us

リーズデイル男爵英語: Baron Redesdale)は、連合王国貴族男爵位。過去に二回創設されており、現存する第2期のリーズデイル男爵位は、外交官アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード1902年に叙されたのに始まるものである。

歴史

[編集]
初代リーズデイル男爵(第1期)ジョン・フリーマン=ミットフォード

庶民院議員、庶民院議長アイルランド大法官英語版などを歴任したジョン・フリーマン=ミットフォード(1748–1830)が、1802年2月15日連合王国貴族カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイル英語版リーズデイル男爵(Baron Redesdale, of Redesdale in the County of Northumberland)」に叙されたのが最初の創設である[1][2][3]。彼はもともとミットフォード姓だったが、母方の叔母の夫にあたるトマス・エドワーズ=フリーマン英語版が所有するバッツフォード英語版を含む荘園を相続した際にトマスの遺言によって「フリーマン=ミットフォード」に改姓した[3]

1830年1月に初代男爵が死去するとその唯一の子であるジョン英語版(1805–1886)が第2代リーズデイル男爵位を継承した。彼はさらに1877年1月3日連合王国貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイル伯爵(Earl of Redesdale, in the County of Northumberland)」に叙されている[4][5]。しかし子供がなかったため、1886年の彼の死をもってリーズデイル伯爵位もリーズデイル男爵位も消滅した[5][6]

リーズデイル伯ジョンの従姪孫いとこの孫)にあたるアルジャーノン(1837–1916)は、1858年から1873年まで外務省に勤務し、外交官として幕末から明治にかけて日本に滞在し、1871年には『昔の日本の物語英語版』を著した[7]。1886年にリーズデイル伯爵が死去するとその遺産を相続し、「フリーマン=ミットフォード」に改姓した[8]。1892年から1895年にかけて保守党庶民院議員を務めた[7][8]。そして1902年7月22日に連合王国貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイルのリーズデイル男爵(Baron Redesdale, of Redesdale in the County of Northumberland)」に叙せられた[9][8]。これが現在まで続く2期目のリーズデイル男爵位である。彼は相続したバッツフォードの邸宅に大規模改築を行った[10]

1916年の初代男爵の死後、その次男デイヴィッド(1878–1958)が第2代リーズデイル男爵位を継承した[11]。彼の代にバッツフォードの荘園は手放すことになった。彼はミットフォード姉妹の父親としても著名である。

2代男爵の死後は弟2人が順次爵位を継承。その後、初代男爵の末子の子孫によって現在まで継承されている。2015年現在の当主は1991年に襲爵した第6代リーズデイル男爵ルパート・バートラム・ミットフォード英語版(1967-)である。6代男爵は自由民主党所属の政治家であり、1999年貴族院法によって貴族院の議席を失ったものの、2000年に一代貴族「カウンティ・オブ・ノーサンバーランドにおけるリーズデイルのミットフォード男爵(Baron Mitford, of Redesdale in the County of Northumberland)」に叙されて貴族院議員に復している[8][12]

現在の住居はロンドン・セント・マークス広場(St Mark's Square)2番地[8]

一覧

[編集]
2代リーズデイル男爵デイヴィッド・フリーマン=ミットフォードと家族

リーズデイル男爵 第1期 (1802年)

[編集]

リーズデイル伯爵 (1877年)

[編集]

リーズデイル男爵 第2期 (1902年)

[編集]

系図

[編集]
ジョン・ミットフォード
(?-1761)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1802年リーズデイル男爵(1期)
ウィリアム
(1744-1827)
 
初代リーズデイル男爵
ジョン
(1748-1830)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1877年リーズデイル伯
ヘンリー
(1769-1803)
 
初代リーズデイル伯
2代リーズデイル男爵
ジョン英語版
(1805-1886)
 
 
 
 
 
 
 
リーズデイル伯廃絶
リーズデイル男爵(1期)廃絶
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘンリー
(1804–1883)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1902年リーズデイル男爵(2期)
初代リーズデイル男爵
アルジャーノン
(1837–1916)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代リーズデイル男爵
デイヴィッド
(1878–1958)
 
3代リーズデイル男爵
バートラム
(1880-1962)
 
4代リーズデイル男爵
ジョン
(1885-1963)
 
アーネスト
(1895-1939)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミットフォード姉妹
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代リーズデイル男爵
クレメント
(1932–1991)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6代リーズデイル男爵
ルパート英語版
(1967-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バートラム
(2000-)
 

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 4分割のうち、1stと4thがミットフォード家の紋章。2ndと3rdが初代男爵(第1期)の母方の叔母の夫の実家フリーマン家のもの。

出典

[編集]
  1. ^ Lundy, Darryl. “John Freeman-Mitford, 1st Baron Redesdale” (英語). thepeerage.com. 2015年6月23日閲覧。
  2. ^ "No. 15452". The London Gazette (英語). 9 February 1802. p. 140. 2015年6月26日閲覧
  3. ^ a b Heraldic Media Limited. “Redesdale, Baron (UK, 1802-1886)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年9月15日閲覧。
  4. ^ "No. 24400". The London Gazette (英語). 2 January 1877. p. 4. 2015年6月26日閲覧
  5. ^ a b Heraldic Media Limited. “Redesdale, Earl of (UK, 1877 - 1886)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年9月15日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “John Thomas Freeman-Mitford, 1st and last Earl Redesdale” (英語). thepeerage.com. 2015年6月23日閲覧。
  7. ^ a b Lundy, Darryl. “Algernon Bertram Freeman-Mitford, 1st Baron Redesdale” (英語). thepeerage.com. 2019年9月18日閲覧。
  8. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Redesdale, Baron (UK, 1902)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年9月15日閲覧。
  9. ^ "No. 27455". The London Gazette (英語). 18 July 1902. p. 4587. 2015年6月26日閲覧
  10. ^ History” (英語). Batsford Arboretum & Garden Centre. 2019年9月15日閲覧。
  11. ^ ラベル 2005, p. 54.
  12. ^ "No. 24795". The Edinburgh Gazette (英語). 21 April 2000. p. 842. 2015年6月26日閲覧

参考文献

[編集]