リーゲル学習百科事典
リーゲル学習百科事典 Riegrův slovník naučný | ||
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編集者 | フランティシェク・ラディスラフ・リーゲル、ヤクブ・マリー | |
発行日 | 1860-1874, 1890 | |
発行元 | Ignác Leopold Kober | |
ジャンル | 百科事典 | |
国 | チェコ | |
言語 | チェコ語 | |
形態 | バージョン、版、または翻訳 | |
ページ数 | 12,712 | |
コード | OCLC 3050345 | |
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リーゲル学習百科事典(リーゲルがくしゅうひゃっかじてん、チェコ語: Riegrův slovník naučný。コバー学習百科事典〈チェコ語: Koberův slovník naučný〉とも呼ばれる)は、チェコで最初の総合百科事典である。1860年から1874年、1890年に刊行された。全12巻(分冊分を個別に数えるなら全14巻)、12,712ページ、約80,000項目を備える。
この百科事典を出版することは、イグニャック・レオポルド・コバーにとって最大級の事業の一つであった。フランティシェク・ラディスラフ・リーゲルとヤクブ・マリーが編集に携わり、のちにリーゲルが一人で編集を担当することなった。
この百科事典の原型となったのは、1854年に刊行された全4巻のKleineres Brockhaus'sches Conversations-Lexikon für den Hausgebrauch(ブロックハウス百科事典)であり、この事典はフランティシェク・パラツキーの著作を参考にしたものであった。パラツキー自身は既にチェコ語の百科事典を作成していたが、この百科事典は未刊行のままであった。
その一方、リーゲル学習百科事典は『明解一般常識事典』(1873年 - 1885年)と『オットー百科事典』(1888年 - 1909年)の成立に大きな影響を与えている。そして、リーゲル学習百科事典の編集者を務めていたヤクブ・マリーはこれら2つの百科事典の編集者でもあった。
リーゲル学習百科事典の編纂は1858年の春から始められ、第1巻が1860年末にKober & Markgrafから出版され、それに続いて1874年までに10巻分が刊行された。1885年から1888年にかけて第2版が出版され、1890年には12巻目(補遺巻)が出版されたが、補遺の内容は完結していない。
構成
[編集]巻数 | 項目 | 刊行年 | ページ数 |
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1. | A - Bžeduchové | 1860 | 1028 |
2. | C - Ezzelino | 1862 | 562+543 |
3. | F - Chyžice | 1863 | 1169 |
4. | I - Lžidimitrij | 1865 | 1470 |
5. | M - Ožice | 1866 | 1205 |
6. | P - Quousque tandem | 1867 | 1171 |
7. | R - Ržew | 1868 | 1220 |
8. | S - Szyttler | 1870 | 1218 |
9. | Š - Vogt | 1872 | 1349 |
10. | W - Žygliňski 補遺 Aaronowicz - Nyström |
1873 | 550+467 |
11. | 補遺 Obach - Ristić |
1874 | 680 |
12. | 増補・補遺 A - Gythonové |
1890 | 824 |