リン・シーモア
リン・シーモア | |
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Lynn Seymour | |
生誕 |
ベルタ・リン・スプリングベット Berta Lynn Springbett 1939年3月8日 カナダアルバータ州ウェインライト |
死没 | 2023年3月7日(83歳没) |
出身校 | サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校 |
職業 | バレエダンサー、振付家 |
リン・シーモア(Lynn Seymour、1939年3月8日 -2023年3月7日)は、カナダ生まれの元バレエダンサー・振付家である。
初期の活動
[編集]出生名ベルタ・リン・スプリングベット(Berta Lynn Springbett)として、アルバータ州ウェインライトで生まれ、ブリティッシュコロンビア州バンクーバーでバレエを学んだ。
1953年にフレデリック・アシュトンのオーディションを受け、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ・バレエ学校(現在のロイヤル・バレエ学校)のスカラシップを得た。同窓にはアントワネット・シブリーとマルシア・ハイデがいた。
1956年にコヴェント・ガーデン・オペラ・バレエ団に入団し、1957年にロイヤル・バレエ団ツーリング・カンパニー(現在のバーミンガム・ロイヤル・バレエ団)に移籍した。さらにその1年後にはメイン・カンパニーであるロイヤル・バレエ団のソリストとなり、1959年にはプリンシパルに昇格した。
ケネス・マクミランの『The Burrow』(1958年)で初の初演キャストに抜擢される。以降、多数のケネス・マクミラン作品で初演キャストを務めることになる[1]。叙情を湛えたテクニック、型破りなスタイル、極めて強烈な演劇性は、1960年の『招待』の少女役や『妖精の接吻』の婚約者役など、マクミランがシーモアに与えた幅広い役柄を通してさらに磨かれていった。
古典作品でも1958年のオーストラリア・ツアーで『白鳥の湖』のオデット/オディール、1960年には『ジゼル』のジゼル、『眠れる森の美女』のオーロラ姫など主役を張った。1961年のアシュトンのコメディ・バレエ『二羽の鳩』では少女役を演じたが、後に有名となるクリストファー・ゲイブルとのパートナーシップはこのときに始まる。
国際的な名声と振付
[編集]1965年のマクミラン版『ロメオとジュリエット』はジュリエット役にシーモア、ロメオ役にクリストファー・ゲイブルを据えて振り付けられた[2]ものの、興行上の理由で初演はマーゴ・フォンテインとルドルフ・ヌレエフが演じた。とはいえ、リン・シーモアは同世代におけるトップ・ダンサーの地位を確立した[3][4][5]。
意に染まぬ配役差し替えに失望したマクミランはロイヤル・バレエ団を去ることを決意し、シーモアを伴ってベルリン・オペラ・バレエに移籍した。シーモアは同団で1966年から1969年までプリマ・バレリーナを務め、『Concerto』を初演した[6]他、マクミランの一幕版『アナスタシア』(1967年)でアンナ・アンダーソン役を演じた。
シーモアはロンドン・フェスティバル・バレエ、ロンドン・コンテンポラリー・ダンス・シアター、カナダ国立バレエ団、アルビン・エイリー・アメリカン・ダンス・シアター、アメリカン・バレエ・シアターなど、多数のバレエ団に客演した。アントニー・チューダーやジェローム・ロビンズ、ラール・ルボヴィチやローラン・プティといったさまざまな振付家と仕事を共にし、時にはルドルフ・ヌレエフとパートナーを組んだ[7] (『ラ・シルフィード』、『ライモンダ』など)。また、ヌレエフとともに、デンマークのダンス指導者スタンリー・ウィリアムズの教授を受けて技術に磨きをかけた[8][9]。
1971年から1978年にかけて、ゲスト・アーティストとしてロイヤル・バレエ団に復帰し、1971年には三幕版『アナスタシア』のアナスタシア役、1978年には『うたかたの恋』のマリー・ヴェッツェラ役(ルドルフ皇太子役はデヴィッド・ウォール)など、マクミランの新作で主役を演じた。また、アシュトンはシーモアのためにソロ作品『Five Brahms waltzes in the manner of Isadora Duncan』(1975年)を振り付けた他、1976年には『A Month in the Country』でナターリア・ペトロヴナ役(パートナーのベリャーエフ役はアンソニー・ダウエル)を充てた。
シーモアは振付家としても活動し[10][11] 、1973年に最初の作品『Night Ride』をロイヤル・バレエ団振付グループのために制作している(音楽:マイケル・フィニスィー)。その他、ロイヤル・バレエ団振付グループのために『Gladly, Sadly, Badly, Madly』(1975年、音楽:カール・デイヴィス)、ガリーナ・サムソワのために『Intimate Letters』(1978年、音楽:レオシュ・ヤナーチェク)、ランバート・ダンス・カンパニーのために『Wolfie』(1987年、音楽:モーツァルト)、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団のために『Bastet』(1988年、音楽:マイケル・バークレー)を振り付けている。
芸術監督とその後
[編集]1978年から1980年にかけて、ミュンヘンのバイエルン国立バレエで芸術監督を務め、当時新進の振付家であったウィリアム・フォーサイスを招いている[12]。その後一時的にロイヤル・バレエ団に戻ったが1981年に引退、その後は時折後進の指導にあたった[13][14]。
1989年にはイングリッシュ・ナショナル・バレエ団のペーター・シャウフスの招待に応じて、ロンドンでのジョン・クランコの『オネーギン』の公演でタチアナ役を踊るために現役復帰[15]、ニューヨークではマクミランの『アナスタシア』でアナスタシア役を務めた[16]。
ハーバート・ロス監督の映画『Dancers』(1987年)にミハイル・バリシニコフとともに出演したほか、1993年にはデレク・ジャーマン監督の『ウィトゲンシュタイン』にバレエ・リュスのリディア・ロポコワ役で出演した。また、さまざまな舞台にカメオ出演しており、1987年にはジリアン・リンのバレエ『A Simple Man』でノーザン・バレエ団、1993年には『Escape at Sea』でセカンド・ストライドと共演[17]。マシュー・ボーン率いるバレエ団 Adventures in Motion Pictures とは1996年にマシュー・ボーン版『白鳥の湖』で共演し、翌1997年には再び同団の『シンデレラ』に継母役で出演した。
2006年から2007年にはアテネでギリシャ国立バレエ団の芸術監督を務めた[18]。
1976年に大英帝国勲章コマンダー章(CBE)を受勲し[19]、翌年にはイブニング・スタンダード・ドラマ賞を受賞した[20]。ロイヤル・バレエ学校には、シーモアに敬意を表して「表現力豊かなダンスのためのリン・シーモア賞(Lynn Seymour Award for Expressive Dance)」が設けられており、毎年授与されている[21]。
私生活
[編集]シーモアは3回結婚し、3人の子供を儲けた。ポーランドのダンサーとの間に婚外子2人(双子の男子)と、2番目の夫との間に息子1人がいる[7]。
2023年3月7日、84歳の誕生日の1日前に死去[22]。83歳没。
参考文献
[編集]- ^ “Agent Provocateur by L.Seymour”. 8 August 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。6 March 2016閲覧。
- ^ “Ottawa Citizen - Ricerca Archivio di Google News”. news.google.com. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “Lynn Seymour – The Rudolf Nureyev Foundation”. nureyev.org. 2020年4月21日閲覧。
- ^ Ulrich (1 February 1999). “BALLET MUSE”. SFGate. 2016年3月8日閲覧。
- ^ “Lynn Seymour”. Oxford Reference. 2016年3月14日閲覧。
- ^ “Creator and Muse: Choreographers, dancers and the roles they make together”. Royal Opera House (6 December 2012). 2016年3月26日閲覧。
- ^ a b “Lynn's dance to the music of time”. (25 October 1996)
- ^ Kavanagh, Julie (5 December 2013). Rudolf Nureyev: The Life. Penguin Books Limited. ISBN 9780141912134
- ^ “Notes for future by L.Seymour”. 2016年3月26日閲覧。
- ^ Thames tv - YouTube
- ^ “Dance » 21 Oct 1978 » The Spectator Archive”. The Spectator Archive. 2016年3月6日閲覧。
- ^ “Bayerische Staatsballett”. 26 April 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。6 March 2016閲覧。
- ^ “Kenneth MacMillan - choreographer”. 2010年9月30日閲覧。
- ^ Isadora rehearsal in London - YouTube
- ^ Macaulay, Alastair (5 June 2012). “Savoring Movers Over the Moves”. The New York Times
- ^ Dunning, Jennifer (28 July 1989). “Lynn Seymour to Reprise Role as a Mad Anastasia”. The New York Times
- ^ “DANCE / Second Stride, second wind: Lynn Seymour has always been a”. The Independent (3 November 1993). 2020年4月21日閲覧。
- ^ “GREEK NATIONAL OPERA”. Εθνική Λυρική Σκηνή. 2020年4月21日閲覧。
- ^ “Lynn Seymour - Everything2.com”. everything2.com. 2020年4月21日閲覧。
- ^ Sleeman, Elizabeth (21 April 2001). The International Who's Who of Women 2002. Psychology Press. ISBN 9781857431223
- ^ “The Lynn Seymour Award for Expressive Dance 2014” (12 December 2014). 2020年4月21日閲覧。
- ^ Eden, Richard (2023年3月9日). “EDEN CONFIDENTIAL: Celebrated Canadian ballerina Lynn Seymour dies”. Mail Online. 2023年3月9日閲覧。