リンカーン・エルズワース
リンカーン・エルズワース(Lincoln Ellsworth、1880年5月12日[1] - 1951年5月26日)は、アメリカ合衆国の極地探検家である。
生涯
[編集]シカゴに生まれた。父親は裕福な炭鉱主で1925年にロアール・アムンセンのスピッツベルゲン島からドルニエ・ワール型飛行艇の北極飛行に資金を提供した。この飛行は目標到達前に不時着し、救助されるまで30日間待たねばならなかった。
1926年にエルズワースはアムンセンとともに、イタリアのウンベルト・ノビレが設計、製作した飛行船、ノルゲ号で、スピッツベルゲン島からアラスカへの飛行を行い、5月12日、北極点を通過した。1933年から1939年にかけて、4度南極探検を行った。ノルウェーのニシン漁船を買い取り、ワイアット・アープ号と名づけて航空機を運んだ。1935年11月23日、ダンディー島(Dundee Island)からロス棚氷までの南極大陸横断飛行を行った時に、南極半島のつけ根にあるエルスワース山脈(Ellsworth Mountains)を発見し、センチネル山脈(Sentinel Range)の名をつけたがその名は後にエルスワース山脈の北部の名称となった。飛行中に燃料切れとなり、リチャード・バードが設置したリトル・アメリカ・キャンプ近くに不時着した[2]。無線機の故障により、エルワースとハーバート・ホリック・ケニヨンとともに不時着の連絡が送れなかった。ニュージーランドから、イギリスの救援船が救助に向かった。ほぼ2ヶ月間、リトル・アメリカ・キャンプに避難したあと、2人は翌年の1月16日発見され、4月6日にニューヨークに帰還した[3]。
1937年には、極地における飛行技術の確立により、イギリスの王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を受賞した[4]。
エルスワース山脈のほかに、南極のエルスワースランドや、エルスワース湖にも命名された。アメリカのボーイスカウト協会は名誉スカウトに任命した。
参考文献
[編集]- ^ “367日誕生日大事典の解説”. コトバンク. 2018年6月10日閲覧。
- ^ "Ellsworth and Kenyon Found Safe: Missing Men Located At Byrd's Camp", Fairbanks (Alaska) Daily News-Miner. January 17, 1936. Page A1.
- ^ "Ellsworth party greeted on return", The New York Times. April 20, 1936. Page 13.
- ^ “Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2014年4月15日閲覧。