リョーマ (ベンチャー)
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株式会社リョーマは、かつて1987年から1992年まで存在した、大阪府大阪市淀川区にあったプロモーション会社。当時、関西の現役大学生を中心としたベンチャー企業として話題になった[1]。創業2年で売上5億円を達成した[1]が、1992年に経営破綻した。
リョーマに関わった学生には、のちに起業家・経営者となったものが多い[2]。リクルートを主に担当していた加藤順彦は、リョーマの学生スタッフを集めるにあたって、「全員が将来社長をめざす、梁山泊のような組織を目指している」という口上を用いていたという[3]。
沿革
[編集]- 1986年11月15日[2] 合宿制の運転免許学校の斡旋所MY LICENCEを大阪市淀川区西中島のワンルームマンションにて開業[1]
- 1987年6月1日[2] MY LICENCEを法人化し、株式会社リョーマ設立[1]。資本金100万円。代表取締役社長真田哲弥(2021年11月現在、KLab株式会社取締役会長[4])、代表取締役専務西山裕之(2021年11月現在、GMOインターネット株式会社 取締役副社長[5])。ふたりは大阪星光学院中学校・高等学校の同級生であり[2]、大学に入学以降も学生サークル活動を共にしていた
- 1987年11月 合宿免許の斡旋事業を運転免許事業部とし、新たにマーケティング事業部を設置。サークル情報誌の編集と営業を開始[要出典]
- 1988年3月[要出典] 真田が社長退任。西山から抜けたいと相談され、真田自身が抜けることにしたという。[6]。かわって西山が代表取締役社長に就任
- 1988年4月 日本信販をメインスポンサーとした[要出典]大学・短大新入生対象の学生サークルの無料情報誌「VIEPLANマガジン関西版」を発行[7]
- 1989年4月[要出典] 学生サークル情報誌を独自ブランド「OMOLOGUE」(オモローグ)にて東京・大阪にて発行[8]。東京版は真田哲弥、金野策一らが企画した株式会社東洋センカ(1991年にセンカ・コミュニケーションズに社名変更)による在京の大学生組織SYNに委託。
- 1989年9月 玉置真理(のちのザッパラス社長)、真田、西山らによって株式会社ダイヤル・キュー・ネットワーク設立(社長は玉置)[6]。同社には山下伸一郎、杉山全功、加藤順彦 など多くのリョーマ関係者が関わった
- 1991年4月 代表取締役社長に林圭介が就任[要出典]
- 1992年9月[2] 経営破綻
脚注
[編集]- ^ a b c d “伝説の学生起業家 Klab 真田哲弥氏 の学生時代まとめ”. WILLFU LAB (2021年4月1日). 2021年11月14日閲覧。
- ^ a b c d e 加藤順彦 (2017年6月18日). “リョーマ30周年。もとメンバーはこんな面々です。”. ベンチャー型家業承継でウミガメ実践記 / 加藤順彦MSC. 2021年11月14日閲覧。個人ブログだが、直接の関係者である加藤によるものなので「公表者自身についての情報源」として利用できると判断。
- ^ 加藤順彦 (2012年6月4日). “リョーマとSYNの25周年。”. ベンチャー型家業承継でウミガメ実践記 / 加藤順彦MSC. 2021年11月15日閲覧。
- ^ “KLabについて 役員一覧”. KLab株式会社. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “企業情報 役員紹介”. GMOインターネット株式会社. 2021年11月14日閲覧。
- ^ a b ドリームゲート事務局 (2007年3月1日). “第35回 KLab株式会社 真田哲弥”. ドリームゲートスペシャルインタビュー. DREAM GATE. 2021年11月14日閲覧。
- ^ 加藤順彦 (2020年7月19日). “学生? 部長? これが関西一超多忙学生の実態だ! / VIE PLANマガジン 関西版 88年4月”. ベンチャー型家業承継でウミガメ実践記 / 加藤順彦MSC. 2021年11月15日閲覧。
- ^ 加藤順彦 (2010年6月23日). “Mariposa:千秋育子さんとアジアへ”. ベンチャー型家業承継でウミガメ実践記 / 加藤順彦MSC. 2021年11月15日閲覧。
参考資料
[編集]- 大柴貴紀 (2012年10月19日). “KLab真田さんの武勇伝と日本ITベンチャーの夜明けの話”. インターネット界隈の事を調べるお. 2021年11月14日閲覧。 - 個人ブログではあるが、情報がまとまっているので参考になる。大柴は加藤と交流がある。
- 岡本呻也 (2000). ネット起業!あのバカにやらせてみよう. 文藝春秋