リュセット・デカーヴ
表示
リュセット・デカーヴ | |
---|---|
生誕 | 1906年4月1日 |
出身地 | フランスパリ |
死没 | 1993年4月15日(87歳没) |
学歴 | パリ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
リュセット・デカーヴ(Lucette Descaves[1], 1906年4月1日(パリ) - 1993年4月15日)は、フランス出身のピアニスト。
経歴
[編集]フランスの作家ルシアン・デカーヴの弟ウジェーヌの娘としてパリで生まれ、名付け親はカミーユ・サン=サーンスだった。パリ音楽院でマルグリット・ロンとイヴ・ナットに師事し、1923年にプルミエ・プリを受賞して卒業した。1932年にはセルゲイ・プロコフィエフの指導の下で彼のピアノ協奏曲第3番のパリ初演をこなして名を上げた。
1942年にはパリ音楽院の教授に就任している。アンドレ・ジョリヴェとも親交が深く、彼の作品のうち、《5つの儀礼的舞曲》とピアノ協奏曲の初演を担当していた。
ピアノ教師としても卓越しており、門下にパスカル・ロジェ、ブリジット・エンゲラーらがいる。
家族・親族
[編集]結婚は二度しており、最初の夫であるピアニストのジョルジュ・トリュクとは1941年に死別している。二人目の夫は指揮者のルイ・フレスティエであった。