リヒャルト・ミュラー
リヒャルト・ミュラー Richard Müller | |
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アトリエで弟子やヌードモデルといるリヒャルト・ミュラー | |
生誕 |
1874年7月28日 ツィルニッツ |
死没 |
1954年5月7日 (79歳没) ドレスデン |
リヒャルト・ミュラー(Richard Müller、1874年 - 1954年)は、ドイツの版画家、画家。 裸体と動物(骨や死体を含む)をモチーフとした写実的なタッチの幻想的な銅版画や油彩画が特徴。
生涯
[編集]1874年、北ボヘミアのツィルニッツ(旧チェコスロバキア、現チェコ共和国のチェルノヴィツェ・ナド・オラ)で 織工の息子として生まれる[1][2]。 幼少期より、父親たち織工が共同出資して定期購読していた雑誌『園亭』に掲載されていた写真やコルネリウス・ホイベルツやモーリッツ・フォン・シュヴィントの銅版画を模写していたという[3]。
1888年、マイセンの王立ザクセン陶芸学校に入学[4][2]。
1890年、16歳の若さでドレスデンの王立美術アカデミーに入学[2]。 アカデミー終了後にはドレスデンの動物園と無料老人ホームに日参し、素描の訓練を続ける[5]。
1894年、ドレスデン分離派(ゼツェシオン)展に出品[2]。
1895年、版画家で彫刻家のマックス・クリンガーに師事し、エッチングの習得を勧められる[2]。
1897年、銅版画でローマ大賞を受賞。6000金マルクを受ける[2]。
1898年、油彩画で「大金メダル」を授与される[6]。
1900年、26歳でドレスデン視覚芸術大学(ドレスデン美術大学)の教授に就任、以降35年にわたり教職を務める。1933年から1935年にかけては同校の学長を勤めた。その間、エドムント・ケスティング、オットー・ディクス、ジョージ・グロスらを指導した[2]。
1933年、進んでナチス党員となり、ナチスの意を受けた「退廃美術展」を組織。 これに際してエドヴァルド・ムンク、オスカー・ココシュカ、エミール・ノルデ、マルク・シャガールなどの作品を押収。 その中には自らの教え子であるグロス、ディクスの作品も含まれていた [7]。
1984年、ドレスデンで死亡[2]。
画集
[編集]- 『Das Werk von Richard Mller』(1921年)ドレスデン刊