リネット・ウッダード
獲得メダル | ||
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女子 バスケットボール | ||
アメリカ合衆国 | ||
世界選手権 | ||
銀 | 1983 サンパウロ | 団体 |
金 | 1990 クアラルンプール | 団体 |
オリンピック | ||
金 | 1984 ロサンゼルス | バスケットボール |
パンアメリカン競技大会 | ||
金 | 1983 | バスケットボール |
銅 | 1991 | バスケットボール |
リネット・ウッダード(Lynette Woodard、1959年8月12日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州ウィチタ出身の元女子バスケットボール選手である。
経歴
[編集]高校時代は62試合で1678得点、1030リバウンドをあげた[1]。
カンザス大学で1978年から1981年まで4年間プレーし、オールアメリカに4度選出される活躍を見せた[1]。卒業時にはアメリカの大学の女性としては歴代トップの3649得点(平均26.2得点)をあげた。彼女の在学当時は、3ポイントシュートが導入されておらず、6フィートとそれほど身長の高くなかった彼女はそれまでのビッグ8カンファレンスのどの選手よりも400点以上多い得点をあげた[1]。また、カンファレンス記録となる1716リバウンドをあげている[1]。
1984年のロサンゼルスオリンピックにキャプテンとして出場し、金メダルを獲得した[1]。
1985年、ハーレム・グローブトロッターズに女性として初めて入団した[1]。
その後イタリアのチームを経て、1990年に日本リーグ2部の大和証券に入団。1993年までプレーした。
1996年の匿名による得票ではビッグ8カンファレンスの歴代最高女性バスケットボール選手に選ばれた[1]。
1997年にWNBAがスタートすると、クリーブランド・ロッカーズに入団。その後エクスパンション・ドラフトでデトロイト・ショックに移籍。WNBAオフシーズンは大和証券時代の経験を活かしニューヨークで株式仲買人として活動していた。
1999年引退。母校のカンザス大学にアシスタントコーチとして復帰、2004年には暫定ヘッドコーチも務めた[2]。
2004年にはバスケットボール殿堂、2005年には女子バスケットボール殿堂入りを果たす。
ナショナルチーム
[編集]米国代表として1983年、ブラジルのサンパウロで行われた女子バスケットボール世界選手権に出場、グループリーグでソ連に1点差で敗れ、決勝のソ連戦でも残り1秒に決勝シュートを決められて、2点差で敗れて銀メダルとなった。
1984年のロス五輪では、金メダルを獲得した。同年オリンピック前に台湾の台北で行われたウィリアム・ジョーンズカップにも出場し、優勝した[3]。
1990年にマレーシアのクアラルンプールで行われた女子バスケットボール世界選手権では平均6.3得点をあげてチームは金メダルを獲得した。
1991年パンアメリカン競技大会では4勝2敗で銅メダルを獲得した。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Woodard, Lynette Inducted 1990”. カンザススポーツ殿堂. 2015年6月7日閲覧。
- ^ “PRO BASKETBALL; Reflecting on Days Before the W.N.B.A.”. ニューヨーク・タイムズ (2006年7月12日). 2015年6月7日閲覧。
- ^ “1984 WOMEN'S R. WILLIAM JONES CUP”. USAバスケットボール. 2015年6月7日閲覧。
関連項目
[編集]- アメリカ合衆国の女子バスケットボール選手
- アフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手
- カンザス大学出身のバスケットボール選手
- クリーブランド・ロッカーズの選手
- デトロイト・ショックの選手
- 現在活動していない日本の女子バスケットボールチームに所属していた選手
- 大和証券グループの人物
- バスケットボール女子アメリカ合衆国代表選手
- オリンピックバスケットボールアメリカ合衆国代表選手
- バスケットボールのオリンピックメダリスト
- アメリカ合衆国のオリンピック金メダリスト
- アメリカ合衆国のパンアメリカン競技大会選手
- アメリカ合衆国のパンアメリカン競技大会金メダリスト
- アメリカ合衆国のパンアメリカン競技大会銅メダリスト
- バスケットボール殿堂
- ウィチタ出身の人物
- 1959年生
- 存命人物