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リナ・ラトケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リナ・ラトケ Portal:陸上競技
アムステルダム五輪でのラトケ
選手情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
競技 中距離走
種目 800メートル競走
所属 SCバーデン=バーデン
Vfbブレスラウ
生年月日 (1903-10-18) 1903年10月18日
出身地  ドイツ帝国 / バーデン大公国の旗 バーデン大公国カールスルーエ
没年月日 (1983-02-14) 1983年2月14日(79歳没)
死没地 西ドイツの旗 西ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州 カールスルーエ
身長 169 cm
体重 55 kg
引退 1934年
自己ベスト
800m 2分16秒8
1000m 3分6秒5
獲得メダル
ドイツの旗 ドイツ
陸上競技
オリンピック
1928年 アムステルダム 800 m
ドイツ陸上競技選手権ドイツ語版
1926年 ブラウンシュヴァイク 1000 m
1927年 ブレスラウ 800 m
1928年 ベルリン 800 m
1928年 ベルリン 4×100mリレー
1930年 レネプ 800 m
1931年 マグデブルク 800 m
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リナ・ラトケ(Karoline "Lina" Radke-Batschauer、1903年10月18日 - 1983年2月14日)は、ドイツの元陸上競技選手。

人物

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1903年10月18日、現在のドイツバーデン=ヴュルテンベルク州バーデンバーデンの出身。

1920年代の女性陸上競技選手のパイオニアの一人であり、1928年アムステルダムオリンピックで初めて実施された女子800mの金メダリスト。

ラトケが陸上競技を始めたころは、まだ女性がスポーツをすることははしたないことで、特にランニングをすることは女性にとって負担が大きすぎるといわれていた時代であった。

オリンピック運動の創始者であるピエール・ド・クーベルタンでさえそのように考えていたようであり、そういう時代にラトケは陸上競技を始めた。

女性が参加できる競技会はそんなになかったが、それでもラトケはいくつかの国内や地域のタイトルを取っている。ラトケが最初に専門としたのは1000mであった。しかし、1928年のオリンピックで800mが実施されることになり800mに変更する。

人見絹枝と競り合うラトケ(右)

ラトケの選手としてのハイライトともいえるのは1928年アムステルダムオリンピックである。この大会では、日本の人見絹枝との争いを制して800mでの金メダルを獲得、ラトケはここで800mの最初の公認の世界記録2分16秒8を樹立した。この世界記録は1944年まで破られなかった。

しかし国際オリンピック委員会は、この決勝レースに参加した9選手全てがゴール直後にへとへとになって倒れこんだ[1]ことを快く思わず、オリンピックでの女子800mはこの大会を最後に取り止めとされ、第17回夏季オリンピックローマ大会1960年)に復活するまでは実施されなかった。

ラトケはその後も1934年まで競技を続け、1983年に亡くなった。

脚注

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  1. ^ 人見絹枝、女子陸上八百で銀メダル『大阪毎日新聞』昭和3年8月4日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p42 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

外部リンク

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