リッチー・パウエル
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リッチー・パウエル Richie Powell | |
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出生名 | Richard Powell |
生誕 | 1931年9月5日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク |
死没 |
1956年6月26日(24歳没) アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ベッドフォード近郊 |
ジャンル | ジャズ |
職業 | ミュージシャン、作曲家、編曲家 |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1949年 - 1956年 |
リッチー・パウエル(Richie Powell、1931年9月5日 - 1956年6月26日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク生まれのジャズ・ピアニスト[1]。
人物
[編集]本名はリチャード・パウエル(Richard Powell)。著名なジャズ・ピアニストであるバド・パウエルの弟。クリフォード・ブラウンとマックス・ローチが共同で率いていたグループのメンバーとして知られる[1]。
来歴
[編集]1949年から1951年までニューヨークやフィラデルフィアで演奏し、1951年から1952年までポール・ウィリアムズの、1952年から1954年までジョニー・ホッジスのもとで活動した。その後はクリフォード・ブラウンとマックス・ローチとが率いるクインテットの一員となっている。リッチー・パウエルの名声は、わけても編曲に負っている。ブラウンとローチとの録音(『アローン・トゥゲザー』や実況録音盤『Brownie Lives!』)に参加したほか、さらにソニー・ロリンズ(『プラス・フォー』)やダイナ・ワシントン(『ダイナ・ワシントン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』)ともレコードを作っている。
突然の死
[編集]リッチーとブラウンは、シカゴにおける契約のために、夜更けにリッチーの妻ナンシーの運転する自動車に乗っていた。暗い雨の夜道(高速道路ペンシルベニア・ターンパイク)を抜ける最中に、ナンシー夫人は運転を誤り、3人とも事故死した。リッチーは、24歳で帰らぬ人となった[1]。
ディスコグラフィ
[編集]※リッチー・パウエルは自身がリーダーとなったアルバムを残していない。
参加アルバム
[編集]- ジョニー・ホッジス : 『ユースト・トゥ・ビー・デューク』 - Used to Be Duke (1954年、Norgran)
- ダイナ・ワシントン : 『ダイナ・ワシントン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』 - Dinah Jams (1954年、EmArcy)
- Various Artists : 『ジャム・セッション』 - Jam Session (1954年、EmArcy) ※日本盤はクリフォード・ブラウン・オール・スターズ名義
- クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ : 『ブラウン・ローチ・インコーポレイテッド』 - Brown and Roach Incorporated (1954年、EmArcy)
- クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ : 『クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ』 - Clifford Brown & Max Roach (1955年、EmArcy)
- クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ : 『クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス』 - Clifford Brown with Strings (1955年、EmArcy)
- クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ : 『スタディ・イン・ブラウン』 - Study in Brown (1955年、EmArcy)
- クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ : 『アット・ベイズン・ストリート』 - Clifford Brown and Max Roach at Basin Street (1956年、EmArcy)
- ソニー・ロリンズ : 『プラス・フォー』 - Sonny Rollins Plus 4 (1956年、Prestige)
- クリフォード・ブラウン & マックス・ローチ : 『ダーホード』 - Daahoud (1972年、Mainstream) ※1954年録音
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Richard Cook & Brian Morton: The Penguin Guide to Jazz on CD, 6th Edition, London, Penguin, 2002 ISBN 0-14-017949-6.
- Bielefelder Katalog 1988 & 2002
- Carlo Bohländer, etc: Reclams Jazzführer. Stuttgart, Reclam, 1991