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リチャード・ファインズ (第6代セイ=シール子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第6代セイ=シール子爵リチャード・ファインズ英語: Richard Fiennes, 6th Viscount Saye and Sele1716年7月8日洗礼 – 1781年7月29日[1])は、イングランド貴族

生涯

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聖職者リチャード・ファインズ(Richard Fiennes、1674年頃 – 1722年、リチャード・ファインズの息子)とペネロープ・チェンバレン(Penelope Chamberlayne、ジョージ・チェンバレンの娘)の息子として生まれた[2]。1737年4月23日にオックスフォード大学ニュー・カレッジ英語版に入学、1743年6月13日にB.C.L.英語版の学位を修得、同年にニュー・カレッジのフェローになった[2][3]。1756年7月8日、D.C.L.英語版の学位を授与された[2]

1742年12月27日に祖父リチャードの兄ジョン・ファインズ英語版の息子にあたる第5代セイ=シール子爵ローレンス・ファインズが死去すると、セイ=シール子爵位を継承した[2]

1753年11月13日、クリストベラ・タイレル(Christobella Tyrrell、1695年頃 – 1789年、第2代準男爵サー・トマス・タイレルの娘)と結婚した[1]

1781年7月29日に死去、バッキンガムシャーグレンドン・アンダーウッド英語版で埋葬された[1]。後継者がおらず、セイ=シール子爵位は廃絶した[1][2]

出典

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  1. ^ a b c d "Saye and Sele, Viscount (E, 1624 - 1781)". Cracroft's Peerage (英語). 4 January 2009. 2020年5月28日閲覧
  2. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 69.
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 461.
イングランドの爵位
先代
ローレンス・ファインズ
セイ=シール子爵
1742年 – 1781年
廃絶