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リチャード・ダーレスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リチャード・ダーレストRichard Dallest, 1951年2月15日 - )は、フランスマルセイユ出身の元レーシングドライバー[1]

経歴

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1974年フォーミュラ・ルノーヨーロッパチャレンジに参戦しシリーズ4位を獲得、翌1975年にシリーズ6位、1976年にシリーズ5位と上位を継続して獲得。1977年は後にF2F1にも独自シャシーで挑戦するAGSのマシンで参戦し、シリーズランキング4位となる。フォーミュラ・ルノー以外にも、1977年にオートドロム・ドゥ・リナ=モンレリで開催されたフランススーパーツーリズモ選手権に個人エントリーでBMW・530iを駆り参戦、プライベータートップの6位に入る。

1978年、AGSのシャシー・JH15にBMWエンジンを搭載してヨーロッパF2選手権に挑戦するEcurie Motul GPA Nogaroチームに加入し、F3を飛び級してF2へデビューする。しかし下位での苦戦が多く、翌1979年石油会社エルフが後援し良いチーム体制で戦えるエキュリー・エルフへ移籍し、ヨーロッパF3選手権へと参戦カテゴリーを切り替える。チームメイトは同じくエルフから支援を受ける4歳年下のアラン・プロストであった。ダーレストはコンスタントに入賞し、1勝を挙げランキング5位となったが、同僚プロストが6勝を挙げる圧勝でシリーズチャンピオンを獲得し、その影に隠れる形となった[2]。プロストはマールボロ・マクラーレンをテストするとすぐにその能力を認められ、本契約を結びF1へステップアップした。

1980年、ダーレストは2年前と同じ体制へ復帰し、F2への再チャレンジとなった。ポールポジション2回、決勝レースも2勝を挙げてランキング6位を獲得する。同年のヨーロッパF2でランキング上位となったブライアン・ヘントンデレック・ワーウィックテオ・ファビアンドレア・デ・チェザリスマイク・サックウェルといったトップランカーの選手は皆フォーミュラ1に参戦するチャンスをつかみ始め、ダーレストよりもランキングが下位だったが大きなスポンサー資金がついていたチコ・セラジークフリート・ストールヒューブ・ロテンガッターベッペ・ガビアーニらもF1参戦のチャンスを得ていたが、スポンサーを持たなかったダーレストはF1参戦のチャンスがなかった。

1981年も前年と同体制でヨーロッパF2に参戦継続する。しかしリタイヤが続き最高位は5位どまり、ランキングは17位と下降した。1982年はAGSを離れ、メルツァリオに移籍したが、ランキング17位。1983年は最高位7位でノーポイントに終わる。1984年もメルツァリオの独自シャシーM84・BMWでヨーロッパF2第5戦ムジェロと第7戦ホッケンハイムにエントリーしたが、マシン開発の助っ人のようなもので本格的な参戦ではなかった。

2年のブランクを経て、1986年の国際F3000選手権に第3戦から復帰。マシンは縁のあるAGSのシャシー、JH20Bでの参戦だった。ポー・グランプリで4位と久しぶりに上位に姿を見せたが、ポイント獲得はこの1戦のみでランキング17位となる。

1987年4月、フランスF3選手権に参戦するKTRレーシングのラルト・RT31 VWで出場。チームメイトはジャン=デニス・デレトラズだった。開幕戦アルビで10位、第2戦ノガロでは11位で完走した。このノガロを最後に以後レース参戦はしていない。なお、この最後の出走レースでの優勝者はジャン・アレジ、2位はエリック・ベルナール、5位にエリック・コマスであった[3]

レース戦績

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ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 Pos. Pts
1979年 エキュリエ・エルフ マルティニ・MK27 トヨタ・2T-G VLL
5
ÖST
Ret
ZOL
MAG
Ret
DON
6
ZAN
6
PER MNZ
7
KNU
6
KIN
1
JAR
3
KAS
Ret
5位 21

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

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エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1978年 Sol-Amor GPA Motul AGS ・JH15 BMW・M12/7 THR
NC
HOC
DNQ
NÜR PAU MUG VLL ROU DON NOG
11
PER
Ret
MIS
16
HOC
DNQ
NC 0
1980年 Ecurie Motul GPA AGS ・JH17 THR
Ret
HOC
10
NÜR
Ret
VLL
9
PAU
1
SIL
DNS
ZOL
8
MUG
7
MIS
Ret
HOC
4
6位 23
AGS・JH19 ZAN
1
AGS・JH15 PER
5
1981年 Team AGS Motul GPA AGS ・JH17 SIL
Ret
HOC
Ret
THR
Ret
NÜR 17位 4
AGS ・JH18 VLL
Ret
MUG
7
PAU
Ret
MIS
5
MAN
5
AGS ・JH15 PER
9
SPA DON
1982年 Merzario Team メルツァリオ・ 282 SIL
DNS
HOC
Ret
THR
6
NÜR
Ret
MUG VLL PAU SPA HOC DON MAN PER MIS 17位 1
1983年 Merzario Team Srl メルツァリオ・ M28 SIL THR HOC NÜR
Ret
VLL
Ret
PAU
Ret
JAR
8
DON MIS
7
PER
Ret
ZOL MUG
8
NC 0

国際F3000選手権

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エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1986年 Equipe Danielson AGS・JH20B コスワース SIL VLL PAU
4
SPA
13
IMO
DNQ
MUG PER ÖST BIR BUG
Ret
JAR 17位 3

脚注

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  1. ^ Profile”. driverdb.com. 7 July 2012閲覧。
  2. ^ ヒストリー・オブ・GP マクラーレン・インターナショナル グランプリ・エクスプレス サンマリノGP号 11p 1988年5月23日発行
  3. ^ 1987 Coupe de Pâques Racing Years