リチャード・ウィリアムズ (1759年没)
リチャード・ウィリアムズ(英語: Richard Williams、1699年? – 1759年4月12日)は、グレートブリテン王国の政治家。1742年から1747年まで庶民院議員を務めた。
生涯
[編集]第2代準男爵サー・ウィリアム・ウィリアムズとジェーン・セルウォール(Jane Thelwall、1665年12月25日 – 1706年[1]、エドワード・セルウォールの娘)の三男として、おそらく1699年に生まれた[2]。兄に第3代準男爵サー・ワトキン・ウィリアムズ=ウィン[3]とロバート・ウィリアムズ[4]がいる。1717年7月11日、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学した[5]。
1741年イギリス総選挙で兄ワトキンの意向を受け[6]、不承不承ながらもフリント・バラ選挙区から出馬した[2]。開票結果はウィリアムズが280票、ウォルポール内閣の支持をとりつけたホイッグ党候補の初代準男爵サー・ジョージ・ウィンが320票でウィンが当選したが、議会では反ウォルポール派が多数だったため、選挙申し立ての末ウィリアムズの当選が宣告された[6]。
議会では1742年と1744年にハノーヴァー兵への資金援助をめぐる採決で反対票を投じた[2]。1747年イギリス総選挙で立候補せず、議席を叔父の息子キフィン・ウィリアムズに譲った[6]。
1759年4月12日に死去した[2]。
家族
[編集]3度結婚しており、2人目の妻シャーロット・モスティン(Charlotte Mostyn、リチャード・モスティンの娘)からペンベドゥーの地所を継承し、シャーロットとの間で1男をもうけた。
3人目の妻アナベラ・ロイド(Annabella Lloyd、1795年8月19日埋葬[7]、チャールズ・ロイドの娘)との間で6男4女をもうけた。
- ワトキン(1742年9月30日[7] – 1808年11月30日) - 庶民院議員[9]
- アナベラ(1743年10月31日洗礼[7] – 1824年ごろ[8]) - フィリップ・パルストン(Philip Puleston)と結婚、子供あり[8]
- ウィリアム(1745年ごろ – 1803年4月7日[7])
- ジェーン - ロバート・ロイド(Robert Lloyd)と結婚[10]
- アナベラ - エドワード・ガタカー(Edward Gatacre)と結婚[10]
- ウィリアム - 生涯未婚[10]
- チャールズ - 生涯未婚[10]
- リチャード - 生涯未婚[10]
- ロバート - 生涯未婚[10]
出典
[編集]- ^ Hayton, D. W. (2002). "WILLIAMS, Sir William, 2nd Bt. (c.1665-1740), of Glascoed, Llansilin, Denb.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月26日閲覧。
- ^ a b c d Thomas, Peter D.G. (1970). "WILLIAMS, Richard (?1699-1759), of Penbedw, Denb.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月26日閲覧。
- ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "WILLIAMS (afterwards WILLIAMS WYNN), Watkin (?1693-1749), of Wynnstay, Denb.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月26日閲覧。
- ^ Thomas, Peter D.G. (1970). "WILLIAMS, Robert (?1695-1763), of Erbistock, Denb.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月26日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (S to Z) (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1560.
- ^ a b c Thomas, Peter D.G. (1970). "Flint Boroughs". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e Howard, Joseph Jackson (ed.). Miscellanea Genealogica Et Heraldica (英語). Vol. I. London: Hamilton, Adams, and Co,. p. 182.
- ^ a b c Digby, Sir Kenelm (1868) [1628]. Bruce, John (ed.). Journal of a Voyage Into the Mediterranean (英語). p. 97.
- ^ Cannon, J. A. (1964). "WILLIAMS, Watkin (?1742-1808), of Penbedw, Denb. and Erbistock, Flints.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e f Debrett's Baronetage of England (英語). Vol. I (6th ed.). London. 1828. p. 275.
グレートブリテン議会 | ||
---|---|---|
先代 サー・ジョージ・ウィン準男爵 |
庶民院議員(フリント・バラ選挙区選出) 1742年 – 1747年 |
次代 キフィン・ウィリアムズ |