リオバンバ
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リオバンバ Riobamba San Pedro de Riobamba | ||
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都市 | ||
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座標:南緯1度40分27.65秒 西経78度38分53.86秒 / 南緯1.6743472度 西経78.6482944度座標: 南緯1度40分27.65秒 西経78度38分53.86秒 / 南緯1.6743472度 西経78.6482944度 | ||
国 | エクアドル | |
県 | チンボラソ県 | |
郡 | リオバンバ郡 | |
建設 | 1534年8月15日 | |
移転 | 1799年 | |
創設者 | ディエゴ・デ・アルマグロ | |
教区 |
都市教区
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政府 | ||
• 市長 | John Vinueza | |
面積 | ||
• 都市 | 59.05 km2 | |
• 都市圏 | 982.69 km2 | |
標高 | 2,754 m | |
人口 | ||
• 都市 | 146,324人 | |
• 密度 | 2,500人/km2 | |
• 都市圏 | 225,741人 | |
等時帯 | UTC-5 (エクアドル時間) |
リオバンバ(スペイン語:Riobamba又はSan Pedro de Riobamba)(スペイン語発音: [rioˈβamba]は、エクアドル中央のチンボラソ県の県都。 2010年の人口は14万6324人[1]。 アンデス山脈から流れるチャンボ川沿いに位置する[2]。 首都キトから約200km南に位置する。 交通の要衝であり、パンアメリカンハイウェイが通る。 チンボラソ火山が近い。
名称
[編集]人口
[編集]歴史
[編集]15世紀後半にインカ帝国が進出する前は、プルハ人が暮らしていた。 プルハ人の強い抵抗を受けたワイナ・カパック皇帝は、プルハのコンドラソ将軍と同盟を結ぶ事で漸く平和を達成した。
1534年8月15日、ディエゴ・デ・アルマグロがサン・ミゲル平野に村を建設した[3]:341。
1563年、スペイン帝国のen:Royal Audience of Quitoに組み込まれた。
1797年、リオバンバ地震が発生し、都市は完全に破壊された。
1799年、廃墟から14km離れた位置に新たに都市が建設された。
1820年11月11日、エクアドル独立戦争の中でリオバンバは独立を宣言したが、すぐに取り消した。
2002年11月20日、軍事倉庫が爆発し、7人が死亡し数百人が負傷した。 地震や火山噴火のような音が発生し、1.5km先の窓硝子が割れた[4]。
文化
[編集]祭り
[編集]博物館
[編集]- Ateneo de Chimborazo
- Armas
- 概念・宗教美術館
- マルドナド自然科学大学
- ボリバル邸
- Córdova-Román
- 人類学的中央銀行
- 文化人類学博物館
スポーツ
[編集]著名人
[編集]- フアン・デ・ベラスコ:1727年~1792年。牧師、歴史家、学者。
- ペドロ・ヴィセンテ・マルドナド:1704年~1748年。科学者。
- マグダレナ・ダヴァロス・イ・マルドナド:1725年~1806年。学者。
- ルイス・コスタレス:1926年~2006年。詩人、哲学家、教師、演説家、歴史家、農家、政治家。
- ルス・エリサ・ボルハ・マルティネス:1903年~1927年。詩人、ピアニスト、画家、彫刻家。
写真
[編集]-
大聖堂
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降臨教会
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ロマ・デ・キト教会
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チンボラソ火山
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ネプチューン
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Los Altares
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マルドナド公園
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ルイス・コスタレス像
脚注
[編集]- ^ City Population[リンク切れ]閲覧日:2017年3月24日
- ^ Riobamba, Ecuador - Travel Photos by Galen R Frysinger, Sheboygan, Wisconsin
- ^ Leon, P., 1998, The Discovery and Conquest of Peru, Chronicles of the New World Encounter, edited and translated by Cook and Cook, Durham: Duke University Press, ISBN 9780822321460
- ^ https://www.nytimes.com/2002/11/22/world/blast-at-ecuador-munitions-dump-kills-8.html
- ^ Riobamba - Ecuador
- ^ Riobamba - Ecuador