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リアルクワイエット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リアルクワイエット
欧字表記 Real Quiet[1]
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1995年3月7日
死没 2010年9月27日(15歳没)
Quiet American
Really Blue
母の父 Believe It
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Little Hill Farm[1]
馬主 Michael E. Pegram[1]
調教師 ボブ・バファートアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[1]
競走成績
生涯成績 20戦6勝
獲得賞金 $3,271,802[2]
勝ち鞍
GI ケンタッキーダービー 1998年
GI プリークネスステークス 1998年
GI ピムリコスペシャルハンデキャップ 1999年
GI ハリウッドゴールドカップ 1999年
GI ハリウッドフューチュリティ 1997年
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リアルクワイエット(英:Real Quiet[1])は、アメリカ合衆国競走馬種牡馬1998年ケンタッキーダービープリークネスステークスの二冠を制した。アファームド以来20年ぶりのアメリカクラシック三冠制覇が期待されたが、ベルモントステークスでは宿敵ヴィクトリーギャロップにゴール前でハナ差交わされ、偉業達成を逃した。

現役時代

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以下の記述は全て新馬齢表記を用いる。

デビュー前

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1995年3月7日アメリカ合衆国ケンタッキー州のリトルフィルファームで誕生。翌1996年キーンランド・セプテンバー1歳セールにてマイケル・ペグラムによって1万7000ドルで落札された[2]。極めて安価な落札額となったのは、生まれつき脚が曲がっていたことと、まるで魚のように細身で見栄えのしない馬体が原因であった。このことから、後に「フィッシュ(Fish)」というニックネームが生まれた[3]

2歳(1997年)

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西海岸のボブ・バファート厩舎に入厩。6月にチャーチルダウンズ競馬場でデビューしたが、なかなか初勝利を挙げることができず、ケント・デザーモが初騎乗した7戦目にようやく白星を挙げた。1戦挟んで迎えたハリウッドフューチュリティもデザーモ騎乗で制覇し、G1初勝利を飾った[4]

3歳(1998年)

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サンタアニタダービー2着をステップに挑んだケンタッキーダービーでは同厩舎の無敗馬インディアンチャーリー英語版が本命視されており、前走でインディアンチャーリーに完敗していたリアルクワイエットは5番人気に留まっていた。しかし、1マイル地点で先頭に立つと、7番人気ヴィクトリーギャロップの追撃を半馬身退けて栄冠を手にした[5]。続くプリークネスステークスでもヴィクトリーギャロップを2馬身1/4差で下し、二冠を達成。セールでも低い評価しか受けず、2歳時は初勝利まで7戦を要し、3歳になってもクラシック本番まで未勝利だった馬の快進撃に対し、馬主のペグラムは「みにくいアヒルの子が美しい白鳥に成長した」と表現した[3]

そして、1978年アファームド以来となる三冠制覇を懸けてベルモントステークスに出走した。三冠制覇の暁には500万ドルのボーナスが支給されることになっていた。管理するバファート師は前年にも二冠馬シルバーチャームで三冠に挑んだがタッチゴールドの2着に敗れており、その雪辱を懸けての挑戦でもあった[6]。バファート師は「ヴィクトリーギャロップさえ倒せば、トリプルクラウンを取れる」と発言し、一騎打ちムードの様相を呈していた。当日は偉業達成を見届けるためにベルモントステークス史上2番目[注 1]となる8万162人の観衆が詰めかけた。レースでは残り550ヤード地点で馬なりで先頭に立つと、直線で一時は4馬身程度にまでリードを広げ[4]、この瞬間はバファート師も勝利を確信したという。追うヴィクトリーギャロップの鞍上ゲイリー・スティーヴンスも勝利を諦めかけていた。しかし、直線半ばからヴィクトリーギャロップが猛然と追い込み、一完歩ずつ差を詰めてリアルクワイエットとほぼ同時にゴール板を通過した。入線の瞬間、バファート師は凍りついたように立ち尽くし、ヴィクトリーギャロップのエリオット・ウォルデン調教師は興奮のあまり床に倒れ込んでしまった。写真判定の結果ヴィクトリーギャロップがハナ差先着しており、三冠達成は夢と消えた。ケント・デザーモの落ち込みも相当なもので、勝利したスティーヴンスもデザーモの顔を見ると「胸が張り裂けるような思いがした」と述べている。ちょうど1年前、スティーヴンスはシルバーチャームに騎乗して三冠の栄光をあと一歩で逃しており、その心情を重ね合わせていたのだった[6]。20年で最も三冠達成に近づいたリアルクワイエット以降も長きに渡って三冠馬は出現せず、2015年にバファート厩舎の後輩アメリカンファラオが達成するまで17年の時が流れていた。

三冠競走後はレースに出走しなかったものの、エクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出された[4]

4歳(1999年)

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3月に9ヶ月ぶりに戦線に復帰すると、復帰3走目のピムリコスペシャルハンデキャッププリークネスステークス以来の勝利を飾る。6月のハリウッドゴールドカップではジェリー・ベイリー との初コンビでG1・5勝目を挙げた。しかし、レース後に右前脚の骨折が判明し、そのまま現役を引退した[4]

競走成績

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以下の内容は、EQUIBASEの情報[2]に基づく。

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
1997.06.15 チャーチルダウンズ 未勝利 5f 7着 J.スタイナー 10馬身 Dice Dancer
0000.06.29 チャーチルダウンズ 未勝利 6f 3着 J.スタイナー 8馬身1/2 Polished Brass
0000.07.19 ハリウッドパーク 未勝利 ダ5.5f 3着 D.フローレス 7馬身1/2 Meadow Prayer
0000.08.08 サンタフェ アローワンス ダ7f 3着 S.スティーヴンス 7馬身1/2 General Gem
0000.08.24 サンタフェ インディアンネーションズFC L ダ7f 3着 S.スティーヴンス 2馬身3/4 Grady
0000.09.05 デルマー 未勝利 ダ8f 4着 S.スティーヴンス 8馬身 Old Trieste
0000.10.18 サンタアニタ 未勝利 ダ8.5f 1着 K.デザーモ 3馬身 (Opine)
0000.11.29 チャーチルダウンズ ケンタッキージョッキークラブS G3 ダ8.5f 3着 D.フローレス 1馬身3/4 Cape Town
0000.12.14 ハリウッドパーク ハリウッドフューチュリティ G1 ダ8.5f 1着 K.デザーモ 1馬身 (Artax)
1998.01.18 ゴールデンゲートフィールズ ゴールデンゲートダービー L ダ8.5f 8着 K.デザーモ 22馬身 Clover Hunter
0000.03.14 サンタアニタ サンフェリペステークス G2 ダ8.5f 2着 K.デザーモ アタマ Artax
0000.04.04 サンタアニタ サンタアニタダービー G1 ダ9f 2着 K.デザーモ 2馬身1/4 Indian Charlie
0000.05.02 チャーチルダウンズ ケンタッキーダービー G1 ダ10f 1着 K.デザーモ 1/2馬身 Victory Gallop
0000.05.16 ピムリコ プリークネスステークス G1 ダ9.5f 1着 K.デザーモ 2馬身1/4 (Victory Gallop)
0000.06.06 ベルモントパーク ベルモントステークス G1 ダ12f 2着 K.デザーモ ハナ Victory Gallop
1999.03.07 フェアグラウンズ ニューオーリンズハンデキャップ G3 ダ9f 2着 K.デザーモ 1/2馬身 Precocity
0000.04.18 ローンスター テキサスマイルステークス G3 ダ9f 2着 K.デザーモ クビ Littlebitively
0000.05.08 ピムリコ ピムリコスペシャルハンデキャップ G1 ダ9.5f 1着 G.スティーヴンス クビ Free House
0000.05.29 サフォークダウンズ マサチューセッツハンデキャップ G2 ダ9f 3着 G.スティーヴンス 3馬身1/4 (Behrens)
0000.06.27 ハリウッドパーク ハリウッドゴールドカップ G1 ダ10f 1着 J.ベイリー 1/2馬身 (Budroyale)

種牡馬時代

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2000年からバイナリー・ケンタッキー(Vinery Kentucky)にて種牡馬入りした。初年度の種付け料は25,000ドルに設定された。その後はテイラーメイドファームを経てペンシルベニア州に移り、リーガルエアファーム(Regal Heir Farms)、ピンオークローンファーム(Pin Oak Lane Farm)、ペンリッジファーム(Penn Ridge Farm)を渡り歩いた。また、シャトル種牡馬としてオーストラリアウルグアイでも供用された[4]ブリーダーズカップ・スプリントを連覇したミッドナイトリュートが後継種牡馬となっている[7]

2010年9月27日に放牧地での事故のため15歳で死亡した[4]

主な産駒

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血統表

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リアルクワイエット血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ファピアノ系
[§ 2]

Quiet American
1986 鹿毛
父の父
Fappiano
1977 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Killaloe Dr. Fager
Grand Splendor
父の母
Demure
1977 鹿毛
Dr. Fager Rough'n Tumble
Aspidistra
Quiet Charm Nearctic
Cequillo

Really Blue
1983 栗毛
Believe It
1975 栗毛
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Breakfast Bell Buckpasser
Reveille
母の母
Meadow Blue
1975 栗毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gay Hostess Royal Charger
Your Hostess
母系(F-No.) 4号族(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Dr. Fager4×3=18.75%Raise a Native4×3=18.75%、Rough'n Tumble5×4×5=12.50%、Cequillo5×4=9.38%、Nearco5×5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ 5代血統表 Real Quiet(USA) 2019年6月29日閲覧
  2. ^ 5代血統表 Real Quiet(USA) 2019年6月29日閲覧
  3. ^ 5代血統表 Real Quiet(USA) 2019年6月29日閲覧
  4. ^ 5代血統表 Real Quiet(USA) 2019年6月29日閲覧

脚注

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注釈

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  1. ^ 史上1位はキャノネロが三冠に挑み、4着に敗れた1971年[6]

出典

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  1. ^ a b c d e Real Quiet | Progeny | Race Record & Form. Racing Post. 2019年6月29日閲覧
  2. ^ a b c Horse Profile for Real Quiet. Equibase. 2019年6月29日閲覧
  3. ^ a b Chris Murray (2014年6月1日). “Sixteen years ago, Pegram's Real Quiet made lots of noise”. USA TODAY. 2019年6月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f David Schmitz (2010年9月28日). “Derby Winner Real Quiet Dies”. Bloodhorse. 2019年6月29日閲覧。
  5. ^ Charts”. Equibase. 2019年6月30日閲覧。
  6. ^ a b c William Nack (1998年6月15日). “Real Close Real Quiet (far right) lost his bid for the Triple Crown by a nose to Victory Gallop in the most riveting Belmont Stakes in 20 years”. Vault. 2019年6月30日閲覧。
  7. ^ Real Quiet dies after falling in paddock”. Associated Press (2010年9月29日). 2019年6月30日閲覧。

外部リンク

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