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ラージャ・オデヤ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラージャ・オデヤ1世(Raja Wodeyar I, 1552年6月2日 - 1617年6月20日)は、南インドカルナータカ地方マイソール王国の君主(在位:1578年 - 1617年)。

生涯

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1578年12月26日、父チャーマ・ラージャ4世の後を継いでいたチャーマ・ラージャ5世を打倒し、ラージャ・オデヤ1世が王位を継承した[1]

ラージャ・オデヤ1世は主家であるヴィジャヤナガル王国に臣従していたが、王国はビジャープル王国ゴールコンダ王国の絶え間ない侵略にあって、17世紀初頭にはさらに衰退していた。

1610年2月8日、ラージャ・オデヤ1世はシュリーランガパトナをヴィジャヤナガル王国の長官から奪取したのち、マイソールからシュリーランガパトナへと遷都し、王国に対して独立を宣言した[1]

1614年から1615年にかけては、二度にわたる遠征を行い、ウンマットゥールラームシュードラフッラハッリタラカードなどの各地の領主を服属させた。

1617年6月20日、ラージャ・オデヤ1世は死亡し、孫のチャーマ・ラージャ6世が王位を継承した[1]

出典・脚注

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  1. ^ a b c Mysore 2

関連項目

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