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ラーゴ (スコットランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラーゴ

アッパー・ラーゴ英語版より1マイル北にあるパリッシュ最高地点のラーゴ・ロー
ラーゴの位置(ファイフ内)
ラーゴ
ラーゴ
ファイフにおけるラーゴの位置
人口2,524人 
英式座標
NO4171402564
カウンシル・エリア
レフテナンシー・エリア
構成国スコットランドの旗 スコットランド
イギリスの旗 イギリス
郵便地域LEVEN
郵便番号KY8
市外局番01333
警察スコットランド
消防スコットランド
救急医療スコットランド
欧州議会スコットランド
英国議会
スコットランド議会
場所一覧
イギリス
スコットランド
北緯56度12分50秒 西経2度56分28秒 / 北緯56.214度 西経2.941度 / 56.214; -2.941座標: 北緯56度12分50秒 西経2度56分28秒 / 北緯56.214度 西経2.941度 / 56.214; -2.941
アッパー・ラーゴの入口。チリファン・フェルナンデス諸島ロビンソン・クルーソー島と姉妹提携していることが告げられている。

ラーゴ (Largo) は、アッパー・ラーゴ英語版(別名カークトン・オブ・ラーゴ Kirkton of Largo)、ローワー・ラーゴ英語版ランディン・リンクス英語版からなる、スコットランドファイフのパリッシュ。隣接するパリッシュは、西にスクーニー英語版、北にシーリーズ英語版、東にニューバーン英語版キルコンカー英語版がある。ラーゴ湾 (Largo Bay) に沿って 2¾マイル(およそ4.4km)の海岸線がある。このファイフ南側の海岸線から、北の内陸方向に3マイルから4½マイル(およそ4.8kmから7.2km)ほど広がっている[1]。面積は、7,378エーカー(およそ2987ha)である[2]

パリッシュの東端に近いところには、953フィート(およそ290m)のラーゴ・ロー (Largo Law) があり[3]、この火山に由来する円錐形の丘の頂上からは広く周辺一帯や、フォース湾の対岸にあるロージアン地方が展望できる。ラーゴ・ローの西には深い峡谷があって、小川が流れており、このパリッシュを南北2マイル(およそ3.2km)にわたって縦断している[1]

ラーゴという地名は、ゲール語で丘の斜面を意味する「Learg」に由来しており、当地がラーゴ・ローの斜面上にあることを指している[4]

このパリッシュの教会は、ウッパー・ラーゴにあり、1817年に建設されたものであるが、その土台の石組みの一部は、1623年に建てられた以前の教会のものが流用されている[5]。教会の西側の脇に建っている牧師館は、1760年代に建てられ1822年に増築されたものと考えられている[6]

かつては、カークトン・オブ・ラーゴ(アッパー・ラーゴ)の教会から1マイル(1.6km)ほど西にあるラーゴ・ハウス (Largo House) という屋敷の地所が、パリッシュ内の相当の部分を占めていた。ラーゴ男爵領 (Barony of Largo) は、1482年スコットランド王ジェームズ3世によって、イングランドとの海戦に勝利を収めた功によって、海軍司令官サーアンドリュー・ウッドに与えられた。サー・アンドリューは、自分の屋敷から教会のそばまで運河をつくり、毎週日曜日に自分の艀(バージ)で教会に通えるようにしたという[1]。この運河の痕跡は、牧師館の背後に認められる[6]

1750年に建てられたラーゴ・ハウスは[5]、廃墟が残るだけである。かつて第二次世界大戦中には、ポーランド軍第1独立落下傘旅団英語版がここに本部を置き、1951年には、地元の不動産課税を免れるために屋根が撤去された[7](同様のことはダルカラン城英語版でも起こった)。ラーゴ・ハウスのすぐ西、ランディン・リンクスの近くには、かつて、マルカム4世がフィリップ・ド・ルンダン (Philip de Lundin) に与えた男爵領に由来するランディン・ハウス (Lundin House) があった[1]

パリッシュの北部には、ニュー・ギルストン (New Gilston) の村があり、アッパー・ラーゴから3マイル (およそ4.8km) ほど北に位置し、その周辺は農地に囲まれている。この村は、ファイフで最も人口が多い村である。小村(ハムレット)であるウッドサイド (Woodside) は、そのすぐ西隣りにある[8]

1755年当時のパリッシュの人口は 1,396人で[1]、その後1801年には 1,867人、1951年には 2,500人と増加した[9]。行政パリッシュの2011年の人口は 2,524人であった[10]

スコットランドの地方行政区画としての行政パリッシュは、1929年に廃止されたが[11]、国勢調査の統計区として、その後も使用され続けている。

ラーゴ地域コミュニティ評議会 (Largo Area Community Council) は、概ねかつての行政パリッシュの範囲に加えて、東隣のニューバーン (Newburn) を含む範囲を管轄している[12]。同様に、今では教会の小教区もラーゴとニューバーンが統合されている[6]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e History of the County of Fife Vol.3, by John Leighton, 1840, p. 129
  2. ^ Gazetteer of Scotland, publ, by W & AK Johnston, Edinburgh, 1937. Article on Largo. Places are presented alphabetically
  3. ^ Ordnance Survey map Dundee and St Andrews One Inch to One Mile, publ. 1927
  4. ^ The Fife Post web site, retrieved February 2016
  5. ^ a b New Statistical Account of Scotland - Vol. Fife and Kinross, by Ministers of their respective parishes, Publisher: William Blackwood, 1845, p. 434
  6. ^ a b c See the web site of the parish church retrieved January 2016
  7. ^ retrieved January 2016
  8. ^ See website of Largo Community Council retrieved January 2016
  9. ^ Vision of Britain web site accessed 3 February 3, 2016
  10. ^ Census of Scotland 2011, Table KS101SC – Usually Resident Population (See “Standard Outputs”, Table KS101SC, Area type Civil Parish 1930), National Records of Scotland, accessed March 2016
  11. ^ Local Government (Scotland) Act 1929
  12. ^ Largo area map”. largo-area-cc.org.uk. 2016年2月6日閲覧。