ラ・サルヴタ=シュル=アグー
La Salvetat-sur-Agout | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | エロー県 |
郡 (arrondissement) | ベジエ郡 |
小郡 (canton) | サン=ポンス=ド=トミエール小郡 |
INSEEコード | 34293 |
郵便番号 | 34190, 34330 |
市長(任期) |
ティボー・エスタデュ (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes des Monts de Lacaune et de la Montagne du Haut Languedoc |
人口動態 | |
人口 |
1131人 (2016年) |
人口密度 | 13人/km2 |
住民の呼称 | Salvetois |
地理 | |
座標 | 北緯43度36分06秒 東経2度42分14秒 / 北緯43.6017度 東経2.7039度座標: 北緯43度36分06秒 東経2度42分14秒 / 北緯43.6017度 東経2.7039度 |
標高 |
最低:663m 最高:1087m |
面積 | 87.55km2 |
公式サイト | https://lasalvetatsuragout.fr |
ラ・サルヴタ=シュル=アグー (La Salvetat-sur-Agout、オック語:La Salvetat d'Agot)は、フランス、オクシタニー地域圏、エロー県のコミューン。
地理
[編集]ヴェブル川とアグー川の合流地点に位置する。オー・カントン・ド・レロー(fr)と呼ばれる、モンペリエとベジエの後背地を構成する中山間地域に属する。コミューンはタルヌ県と境界を接している。
由来
[編集]地名は1102年にecclesiam de Salvetasのつづりで証明されている[1]。
salvetatとはオック語のsauvetéと同義語で、ラテン語のsalvitatem(『避難の場所』を意味する)が進化したものである。こうしたsauvetésやsalvetatsは、避難場所や亡命の地を求めてきたということになり、新しい町になった。こうした庇護は通常、フランス南部で12世紀以降教会当局によって組織された。
歴史
[編集]コミューンへの定住は10世紀にさかのぼる。そこにはサンテティエンヌ・ド・カヴァル礼拝堂と、巡礼者たちが渡る、ヴェブル川に架けられた古い橋があった。安全上の理由から、住民たちは12世紀に岩だらけの山の頂上に定住した。そこはLa Salvetatの名前で証明されるように、要塞化された避難場所だった。カザルの中世の塔から、ギヨーム・ド・ジュルダンは城壁を守った。しかしこの領主は1311年に、サン=ポンス=ド=トミエール大修道院長ピエール4世ロジェおよびアルノー・ド・ロクスフィエールに譲渡、赦免を求め、ラ・サルヴタの城とテロワールに与えられた全ての権利と領地を寄進した。1317年、この大修道院長司教は、バスティッドのいくつかを従属させた[2]。
フランス革命の間、コミューンの市民たちは革命集会に集い、1793年に『共和国協会』が誕生した[3]。
コミューンの名は、ラ・サルヴタまたはラ・サルヴタ=ダングレス(La Salvetat-d'Anglès)であった。1848年10月17日、ラ・サルヴタはラ・サルヴタ=シュル=ラグー(La Salvetat-sur-l'Agout)となった。1958年10月8日のデクレにより、コミューンはラ・サルヴタ=シュル=アグーとなった[4]。
2018年1月、ラ・サルヴタ=シュル=アグーは『ル・パリジャン』紙の記事になった。極右と関係する30人の共同体の人々が、コミューンを分断しているというのである。2015年、若い女性をメンバーとする音楽グループ、Ultra Sixtiesがラ・サルヴタで結成され、シャンソンの古い歌を様々な場所で繰り返し無料で歌った。翌年、グループはレ・ブリガンド(Les Brigandes)と改名し、レ・ブリガンドは同性愛者やユダヤ人、イエズス会、イスラム教とフリーメイソンに批判的な歌を歌うことで、YouTubeで知られるようになった。この団体はまた、2017年に町中心部に店舗を開き、共同体のメンバーの子供たちを学校に通学させなかった。彼らは、反セクト集団によって特に有名な人物である、ジョエル・ラブリュイエールが運営するバルカ・プロダクションによって、資金提供を受けている[5] · [6]。
レ・ブリガンドが村の一部の住民たちから非難されても、彼らに対する脅迫だとして、コミューンの首長はグループの活動に対して発言や批判をすることを拒否している[7]。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2016年 |
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1532 | 1361 | 1115 | 1174 | 1153 | 1118 | 1194 | 1131 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[8]、2006年以降INSEE[9][10]
ギャラリー
[編集]村はフランスの最も美しい村協会の一員であったが、現在は加盟していない。町は、フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路である、トゥールーズの道が通る。
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サンテティエンヌ教会
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教会の出入り口
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サンテティエンヌ・ド・カヴァル礼拝堂
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戦死者墓地
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ヴェブル川に架かる橋
脚注
[編集]- ^ Ernest Nègre - Toponymie générale de la France: Tome 3, page 1497.
- ^ cf. Jean-Baptiste Trottet-le-gentil, prêtre, vicaire général, official et chanoine de l'église de Saint-Pons de Thomières, Chronologie des abbez du monastère et des evesques de l'église de S. Pons de Thomières, Béziers, 170 ; réédition en 1873), p.30
- ^ Jean-François Dubost, « Le réseau des Sociétés Politiques dans le département de l'Hérault pendant la Révolution Française (1789-1795) », Annales historiques de la Révolution française, no 278, 1989. p. 416.
- ^ J.O. 1958, no 240, p.9328
- ^ Bartolomé Simon (2 January 2018). "La Salvetat, un village sous l'emprise du groupe Les Brigandes". Le Parisien. 2018年1月2日閲覧。.
- ^ "Hérault : à La Salvetat, il y a de l'eau dans le gaz à cause des Brigandes, un groupuscule d'extrême droite". France Info. 2 January 2018. 2018年1月2日閲覧。.
- ^ https://www.francetvinfo.fr/societe/ils-se-croient-de-plus-en-plus-forts-dans-l-herault-un-habitant-combat-un-groupe-de-musique-d-extreme-droite_2543099.html
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=35202
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-34293
- ^ http://www.insee.fr