ランディヴィ
Landivy | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | マイエンヌ県 |
郡 (arrondissement) | ゴロン郡 |
小郡 (canton) | ランディヴィ小郡 |
INSEEコード | 53125 |
郵便番号 | 53190 |
市長(任期) |
ジャン=ピエール・デュピュイ[1] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Bocage Mayennais |
人口動態 | |
人口 |
1151人 (2015年) |
人口密度 | 40人/km2 |
住民の呼称 | Landivysien |
地理 | |
座標 | 北緯48度28分45秒 西経1度02分00秒 / 北緯48.479167度 西経1.033333度座標: 北緯48度28分45秒 西経1度02分00秒 / 北緯48.479167度 西経1.033333度 |
標高 |
平均:m 最低:92 m 最高:231m |
面積 | 28.54km2 |
公式サイト | www.landivy.fr |
ランディヴィ (Landivy)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、マイエンヌ県のコミューン。
地理
[編集]ランディヴィの町は、マイエンヌ県、マンシュ県、イル=エ=ヴィレーヌ県の各県が交わる角に位置している。したがって、ブルターニュ地域圏、ノルマンディー地域圏、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏が交わる地点である。
ランディヴィは、マイエンヌ県の北西の端に広がるマルシュ・ド・ブルターニュ(ブルターニュ辺境地帯)にある。下層土は、花崗岩や数種の異なる軟性岩といった抵抗性の土で構成され、総じて河川の規模は小さく池が点在する丘陵の風景が広がる。その森林面積は小さく、マイエンヌの森から遠くなると、森は広くない。一方でクリの木は多いものの、耕作地の拡大で減少している。この区域は本質的に養豚と肉牛の飼育であるため、牧草地の面積が非常に重要である。風景は緑であふれ、モン・サン・ミッシェルから約40キロメートル離れているランディヴィの田園地帯は、海洋性気候の恵みを受けている。降雨量はしばしば年間900ミリメートル以上を記録し、年平均気温は10.5℃である。空は曇天が多い[2] · [3]。
由来
[編集]地名の語源はフランス語のlande(ヒース)であると思われる。landeはガリア語のlandaからきており、開拓の及ばない土地を意味している。ラテン語の地名は村を意味するvicusである[4]。
歴史
[編集]1972年、ランディヴィにおいてガリア時代の碑が発見された。それはランディヴィの町役場の正面から発掘された。世界各地に異なる種類の碑が見つかっており、この碑は主にマイエンヌ北部で見られる外観、表面は平で形は卵型、であった。こうした碑の存在は、ガリアの一部族、ディアブリンテス族がいたことで証明される[5]。
ランディヴィにおいて、住民たちは塩の間接税である塩税を嫌っていた。彼らは不満を第三身分陳情書に書き示した。この陳情書は、当時の王に苦情を伝えるものだった。
塩税は、住民たちに毎年数量ごとに塩を購入させることを強いていた。メーヌにあるランディヴィでは塩は59リーヴル(50kg)である一方、ブルターニュでは2リーヴルであった。よって、密輸は非常に容易であった。密輸業者たちは安い塩を購入してエアロン川を渡り、それを売って大きな利益を上げていた。人々はランディヴィで商売することを避けた。なぜなら、州の境を往来するための通行税が非常に高額だったからである。ランディヴィはノルマンディーとブルターニュの境にあって不運だった。
町は、メーターゲージ鉄道の二次鉄道の3路線を持っていた。最初の2路線は、マイエンヌ県鉄道が運営するランディヴィ-マイエンヌ線、ランディヴィ-ラヴァル線であった。また、ランディヴィとサンティレール・アルクエトを結ぶマンシュ県鉄道の路線も通じていた。
1902年、ランディヴィ駅は年間13737人の乗客を迎えた[6]。
ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件が起きると、ユダヤ人の子どもたちを救出するためいくつかのレジスタンス・ネットワークがつくられた。若い女性たちはユダヤ人の子どもたちを戦争孤児にみせかけ、約70人をランディヴィやフジュロル・デュ・プレシ、サヴィニーといった田園地帯の世帯に連れていった。子どもを預かった人々は彼らに食べ物を与え、養育し、学校に行かせ、敵から匿った[7] · [8]。子どもたちを保護した世帯の子孫たちは、ヤド・ヴァシェムから勲章を授与されている[9]。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2015年 |
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1565 | 1525 | 1473 | 1456 | 1391 | 1286 | 1212 | 1151 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[10]、2006年以降INSEE[11][12]。
史跡
[編集]- ポントブレ礼拝堂 - モン・サン・ミッシェルへの巡礼路にある。所蔵する14世紀の聖母子像は歴史的記念物に登録されている[13]。
- モソンのシャトー - 15世紀から16世紀。歴史的記念物[14]
- サン・マルタン教会 - 19世紀。
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シャトー
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サン・マルタン教会
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Réélection 2014 : "Jean-Pierre Dupuis a été élu maire". ouest-france.fr. fr:Ouest-France. 2014年4月13日閲覧。
- ^ Benoît Baudin, fr:Amphibiens et Reptiles de la Mayenne, Craon, fr:Mayenne Nature Environnement, , 183 p. (ISBN 978-2-7466-2637-9), p. 14-25
- ^ Franck Noël et Mayenne Nature Environnement, fr:Mammifères sauvages en Mayenne, Laval, fr:Siloe, , 207 p. (ISBN 2-84231-240-6), p. 18-19
- ^ Albert Dauzat および Charles Rostaing, Dictionnaire étymologique des noms de lieux en France, Paris, Larousse, , _________
- ^ Armelle Pain, Le patrimoine des communes de la Mayenne, Paris, Flohic Editions, , 953p. p. (ISBN 2-84234-135-X), page 502
- ^ Un demi-siècle de petits trains en Mayenne, Pierre-Alain Menant, Éditions du Petit Pavé.
- ^ Archives départementales de la Mayenne, Les Juifs en Mayenne et l’antisémitisme, Laval, Conseil général de la Mayenne, , 122 p. (ISBN 2-86053-027-4), p. 16-17
- ^ "Les enfants cachés : L'exposition est en ligne..." llaunay.lamayenne.e-lyco.fr (Français). June 2016. 2018年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月20日閲覧。
- ^ "Deux familles mayennaises ont reçu la médaille des Justes". www.ouest-france.fr/pays-de-la-loire (Français). 22 November 2015. 2017年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月11日閲覧。
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=18558
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ [4]