ラルジャンティエール
ラルジャンティエール | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | アルデシュ県 |
郡 (arrondissement) |
ラルジャンティエール郡 (郡庁所在地) |
小郡 (canton) | ラルジャンティエール小郡 |
INSEEコード | 07132 |
郵便番号 | 07110 |
市長(任期) |
ジャン=ロジェ・デュラン (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | リーニュ渓谷 |
人口動態 | |
人口 |
1822人 (2011年) |
人口密度 | 252人/km2 |
住民の呼称 | Largentiérois |
地理 | |
座標 | 北緯44度32分37秒 東経4度17分39秒 / 北緯44.5436111111度 東経4.29416666667度座標: 北緯44度32分37秒 東経4度17分39秒 / 北緯44.5436111111度 東経4.29416666667度 |
標高 |
最低:147 m 最高:420 m |
面積 | 7.22km2 (722ha) |
ラルジャンティエール(仏: Largentière、オック語: L'Argentièira)は、フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、アルデシュ県にあるコミューン。県内に二つある郡庁所在地の一つである(もう一方はトゥルノン=スュル=ローヌ)。
住民はラルジャンティエロワ(Largentiérois)、もしくはラルジャンティエロワーズ(Largentiéroises)と呼ばれる。郡庁所在地としてはアルプ=ド=オート=プロヴァンス県のカステラーヌに次いで、国内で二番目に小さい。
地理
[編集]県南部、リーニュ川の渓谷沿いに位置する。オーブナの南10km、ヴァランスの南西85kmにある。
歴史
[編集]13世紀までは「セギュアリエール」(Segualeriæ)という地名であった。10世紀から15世紀にかけ、トゥールーズ伯とヴィヴィエ司教により銀鉱が開拓された。
かつて街を支配したヴィヴィエ司教や地元の名家は、中世の街並み、15世紀の城、13世紀に建てられたノートル=ダム=デ=ポミエ教会などの建築遺産を守ってきた。
小さな村だったラルジャンティエールは19世紀に工業化を遂げた。今日、ラルジャンティエールには郡庁が置かれ、県南部の行政の中心地となっている。その一方、夏には観光客でたいへん賑わう。
1982年まで、パリ・リヨン・地中海鉄道(PLM)とフランス国鉄(SNCF)がサン=セルナンとの間で鉄道を走らせていた。かつての駅舎は既に取り壊され、跡地に憲兵隊兵舎と消防署が建てられた。
1974年12月1日にトリエを編入したが、1989年1月1日に分離した。
紋章
[編集]ラルジャンティエールの紋章には、紺地に両側2箇所の物見台と銃眼つきの塔を有する白い城が描かれている。塔には白旗が立てられている。全てレンガ造りで、黒で明り取りの窓が描かれている。
行政
[編集]- 近年の首長
就任年 | 退任年 | 氏名 | 所属政党 | 備考 |
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1983年 | 1995年 | アンドレ・モンテイユ | 共和国連合 | |
1995年 | 2001年3月 | エドモン・ラフォン | 右派諸派 | |
2001年3月 | 2014年3月 | ジャン=ロジェ・デュラン[1] | 新中道 | 議長 |
議会は首長も含め19人で構成される[2]。
1793年 1793人 |
1800年 1706人 |
1806年 1952人 |
1821年 2250人 |
1831年 2919人 |
1836年 2879人 |
1841年 3088人 |
1846年 3214人 |
1851年 3160人 |
1856年 3281人 |
1861年 2992人 |
1866年 3144人 |
1872年 3135人 |
1876年 2962人 |
1881年 2783人 |
1886年 2697人 |
1891年 2820人 |
1896年 2472人 |
1901年 2354人 |
1906年 2283人 |
1911年 2165人 |
1921年 1887人 |
1926年 2043人 |
1931年 1855人 |
1936年 2021人 |
1946年 1777人 |
1954年 1673人 |
1962年 1819人 |
1968年 2888人 |
1975年 2782人 |
1982年 2520人 |
1990年 1990人 |
1999年 1942人 |
2007年 1820人 |
1962年から1968年にかけ、人口が急激に上昇したのは、ラルジャンティエールが多くのハルキ(北アフリカでフランス軍補充兵となった現地人兵士)を受け入れたためである。また、1982年から1990年にかけて減少したのは1989年にトリエが分離したためである。
観光スポット
[編集]- 15世紀のラルジャンティエール城
- 中世の街並み
- 13世紀に建てられた、ゴシック様式のノートル=ダム=デ=ポミエ教会
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外観
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西門
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正門
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祭壇
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村のパノラマ
- 絹の博物館 - 蚕が飼育され始めてからの製糸の歴史を展示している
経済
[編集]1982年まで、ペナロヤ社が鉛、亜鉛、銀を採掘していた[5]。これらの鉱山はかつてロスチャイルド家の所有だった[6]。鉱山が閉鎖された今、製糸産業は危機に瀕しており産業基盤は弱体化している。
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放置された採掘施設
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オメガ製薬研究所。製糸工場の改装例である
ゆかりの人物
[編集]- ジャン=ルイ・ジロー=スーラヴィ(1752年 - 1813年) 地理・歴史家。著書に「南仏自然史」(全八巻、未完)や「ルイ16世治世下の歴史・政治回想録」がある
- アルバン・マゾン(1828年 - 1908年)、別名「フランク博士」 ヴィヴァレー地方の歴史家。1904年には「ラルジャンティエール史」を出版した
- エドゥアール・フロマン(1884年 - 1973年) 政治家
- ルイ=ガブリエル・スーシェ(1770年 - 1826年) 軍人。ノートル=ダム=デ=ポミエ教会に眠っている
- アレン・モーヴァン(1944年 - ) リヨン・アカデミー元学長
- アンリ・リヴィエ(1870年 - 1950年) アルメニア紙の創始者の一人
- ミシェル・テストン(1944年 - ) 詩人・作家。著書に「ロートレアモン伯爵、詩人の仕事における神経症とキリスト教」がある
- ジェローム・ティセラン(1948年 - ) 画家。パリ市文化顧問、エヴルー文化庁理事を務める。レジオンドヌール勲章の「シュヴァリエ」受章
脚注
[編集]- ^ Préfecture de l'Ardèche fichier au format PDF daté du 1er juillet 2008
- ^ 外部リンクの「データベース」より
- ^ Largentière sur le site de l'Insee
- ^ Largentière sur le site Cassini
- ^ Images de l'exploitation de la mine
- ^ Compte rendu de la séance de l'Assemblée Nationale du 11 juin 1982, intervention du député de l'Ardèche Jean-Marie Alaize.