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ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー
Rajendra Rajya Lakshmi Devi
ネパール王妃

出生 不詳
パルパ
死去 1785年7月13日
カトマンズハヌマン・ドーカ宮殿
配偶者 プラタープ・シンハ・シャハ
子女 ナゲンドラ・シャハ
ラナ・バハドゥル・シャハ
宗教 ヒンドゥー教
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ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー(Rajendra Rajya Lakshmi Devi, 生年不詳 - 1785年7月13日)は、ネパール王国の君主プラタープ・シンハ・シャハの王妃。

生涯

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時期は不明ながら、ネパール王プラタープ・シンハ・シャハと結婚した。王との間には、 1775年ラナ・バハドゥル・シャハをもうけた[1]。それ以前にナゲンドラをもうけているが夭折している[1]

1777年11月、プラタープ・シンハが死亡し、幼い息子のラナ・バハドゥルが王位を継承すると、その摂政となった。だが、ベティヤーにいた王の叔父バハドゥル・シャハが帰国し、王母代わって摂政になった[2]

その後、重臣らの支持を受けた王母はバハドゥルを投獄したが、王師ガジ・ラージ・ミシュラの助言もあって数日のうちに釈放した[2]。それでも2人の対立は深まり、今度はバハドゥルが王母を投獄したが、重臣らの反発を受けたため、王母を釈放してベティヤーに戻った[2]。これらの争いは、1781年二四諸国の攻撃に繋がった[2]

1785年7月13日、ラジェンドラは死去した[2][1]。その死後、バハドゥルは帰国し、再び摂政となった[2]

脚注

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  1. ^ a b c Nepal 6
  2. ^ a b c d e f 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.503

参考文献

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  • 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目

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