ラグラン男爵
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ラグラン男爵 Baron Raglan | |
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創設時期 | 1852年10月20日 |
創設者 | ヴィクトリア女王 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | フィッツロイ・サマセット |
現所有者 | ジェフリー・サマセット(6代男爵) |
相続人 | イニゴ・サマセット |
相続資格 | 初代男爵の直系・嫡出の男系男子 |
付随称号 | 無し |
モットー | 変節や恐怖を恥とせよ (Mutare vel timere sperno) |
ラグラン男爵(英語: Baron Raglan)は、連合王国貴族の男爵位。
ボーフォート公爵家の分流で陸軍軍人のフィッツロイ・サマセット元帥が、1852年に叙されたのに始まる。
歴史
[編集]第5代ボーフォート公爵ヘンリー・サマセット(1744-1803)の8男であるフィッツロイ・サマセット(1788-1855)は陸軍軍人として元帥まで昇進し、クリミア戦争で英軍の指揮をとった[1]。1852年10月20日には連合王国貴族爵位モンマス州におけるラグランのラグラン男爵 (Baron Raglan, of Raglan in the County of Monmouth)に叙せられた[2][3]。
彼の死後も彼の男系男子によって2016年現在まで継承され続けている[2]。2016年現在の当主は6代ラグラン男爵ジェフリー・サマセット(1932-)である[2][4]。
ラグラン男爵家にこの爵位以外の保有爵位・準男爵位は存在しない[2]。
本邸はモンマスシャー・スランデンニにあるセフンティラ・コート[5]。モットーは「変節や恐怖を恥とせよ(Mutare Vel Timere Sperno)」[2]。
ラグラン男爵 (1852年)
[編集]- 初代ラグラン男爵フィッツロイ・ジェイムズ・ヘンリー・サマセット (1788-1855)
- 2代ラグラン男爵リチャード・ヘンリー・フィッツロイ・サマセット (1817-1884)
- 3代ラグラン男爵ジョージ・フィッツロイ・ヘンリー・サマセット (1857-1921)
- 4代ラグラン男爵フィッツロイ・リチャード・サマセット (1885-1964)
- 5代ラグラン男爵フィッツロイ・ジョン・サマセット (1927-2010)
- 6代ラグラン男爵ジェフリー・サマセット (1932-)
- 法定推定相続人は現当主の孫イニゴ・アーサー・フィッツロイ・サマセット閣下 (2004-)。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 617.
- ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Raglan, Baron (UK, 1852)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年5月24日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Field Marshal FitzRoy James Henry Somerset, 1st Baron Raglan” (英語). thepeerage.com. 2016年5月24日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Field Marshal FitzRoy James Henry Somerset, 1st Baron Raglan” (英語). thepeerage.com. 2016年5月24日閲覧。
- ^ Roth, Andrew (2010年4月18日). “Guardian- Lord Raglan Obituary”. The Guardian (London) 2010年4月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。