ラクバ・シン
基本情報 | |
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本名 | Lkhagva Dugarbaatar |
通称 | ラクバ・拳士 |
階級 | ライト級 |
身長 | 171cm |
国籍 | モンゴル |
誕生日 | 1972年3月10日(52歳) |
出身地 | ウランバートル |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 26 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 18 |
敗け | 4 |
引き分け | 1 |
ヒャグワ・シン(Lakva Sim、1972年3月10日 - )は、モンゴル国の元・プロボクサー。ウランバートル出身。本名はドガルバータリン・ヒャグワ[注釈 1](英語: Lkhagva Dugarbaatar,モンゴル語: Дугарбаатарын Лхагва)。日本では専らラクバ・シンと表記された。モンゴル初のプロボクシング世界チャンピオン。元WBA世界スーパーフェザー級王者。元WBA世界ライト級王者。リングネームをラクバ・拳士(ラクバ・けんし)として日本を拠点にしていた時期もあった。
来歴
[編集]ライト級
[編集]アマチュアでは国際大会で数多くのタイトルを獲得し、156戦142勝(119KO・RSC)14敗の成績を残した。
1995年12月28日、プロデビュー。そのデビュー戦でPABAライト級王座獲得。
スーパーフェザー級
[編集]1996年3月23日、3戦目で今度はPABAスーパーフェザー級王座を獲得し、同団体王座2階級制覇達成。その後、2度の防衛を果たし、1997年1月に王座返上。
1997年2月1日、6戦目で世界初挑戦。WBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑戦し、1-2で判定負けで王座獲得ならず。その後、1分を挟み5連勝。
1999年6月27日、2年ぶりの世界再挑戦。前年9月に崔を降してWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得した畑山隆則に指名挑戦者として挑戦し、4回までは互角に戦ったが、5回目で優位になりTKO勝ち[1]。13戦目でモンゴル人初の世界王者となった。
1999年10月31日、初防衛戦で白鐘権(韓国)と対戦し、ダウンを奪うなど優位に試合を進めるが、判定負けを喫し、王座陥落。
デビュー時から韓国を拠点として戦ってきたが、2001年(平成13年)12月、横浜さくらジムへ移籍。リングネームを「ラクバ・拳士」と改め、日本を拠点に戦うようになる。
2002年(平成14年)4月13日、移籍後初めて(通算3度目)の世界挑戦。敵地でヨーサナン・3Kバッテリー(タイ)とWBA世界スーパーフェザー級王座決定戦を行うが、12回判定で敗れ王座返り咲きならず[1]。
2003年(平成15年)、横浜さくらジムを離れ、拠点を韓国に戻す。
ライト級復帰
[編集]2004年4月10日、アメリカ合衆国・ラスベガスでミゲール・カリスト(パナマ)とWBA世界ライト級王座決定戦を行い、5回TKO勝ちで世界2階級制覇を果たしたが、7月17日の初防衛戦でファン・ディアス(米国)に12回判定負けを喫し、王座陥落。
同胞の元・大相撲力士である旭鷲山と親交があり、旭鷲山がラクバの応援に駆けつけたこともあった。
戦績
[編集]- 26戦 21勝 18KO 4敗 1分
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ モンゴル語はLが語頭の場合は、読まれない
出典
[編集]- ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年(平成14年)、234頁
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 畑山隆則 |
WBA世界スーパーフェザー級王者 1999年6月27日 - 1999年10月31日 |
次王者 白鐘権 |
空位 前タイトル保持者 レオナルド・ドーリン |
WBA世界ライト級王者 2004年4月10日 - 2004年7月17日 |
次王者 ファン・ディアス |