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ラクバ・シン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラクバ・シン
基本情報
本名 Lkhagva Dugarbaatar
通称 ラクバ・拳士
階級 ライト級
身長 171cm
国籍 モンゴルの旗 モンゴル
誕生日 (1972-03-10) 1972年3月10日(52歳)
出身地 ウランバートル
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 26
勝ち 21
KO勝ち 18
敗け 4
引き分け 1
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ヒャグワ・シンLakva Sim1972年3月10日 - )は、モンゴル国の元・プロボクサーウランバートル出身。本名はドガルバータリン・ヒャグワ[注釈 1]英語: Lkhagva Dugarbaatar,モンゴル語: Дугарбаатарын Лхагва)。日本では専らラクバ・シンと表記された。モンゴル初のプロボクシング世界チャンピオン。元WBA世界スーパーフェザー級王者。元WBA世界ライト級王者。リングネームをラクバ・拳士(ラクバ・けんし)として日本を拠点にしていた時期もあった。

来歴

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ライト級

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アマチュアでは国際大会で数多くのタイトルを獲得し、156戦142勝(119KO・RSC)14敗の成績を残した。

1995年12月28日、プロデビュー。そのデビュー戦でPABAライト級王座獲得。

スーパーフェザー級

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1996年3月23日、3戦目で今度はPABAスーパーフェザー級王座を獲得し、同団体王座2階級制覇達成。その後、2度の防衛を果たし、1997年1月に王座返上。

1997年2月1日、6戦目で世界初挑戦。WBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙韓国)に挑戦し、1-2で判定負けで王座獲得ならず。その後、1分を挟み5連勝。

1999年6月27日、2年ぶりの世界再挑戦。前年9月に崔を降してWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得した畑山隆則指名挑戦者として挑戦し、4回までは互角に戦ったが、5回目で優位になりTKO勝ち[1]。13戦目でモンゴル人初の世界王者となった。

1999年10月31日、初防衛戦で白鐘権英語版(韓国)と対戦し、ダウンを奪うなど優位に試合を進めるが、判定負けを喫し、王座陥落。

デビュー時から韓国を拠点として戦ってきたが、2001年(平成13年)12月、横浜さくらジムへ移籍。リングネームを「ラクバ・拳士」と改め、日本を拠点に戦うようになる。

2002年(平成14年)4月13日、移籍後初めて(通算3度目)の世界挑戦。敵地でヨーサナン・3Kバッテリー英語版タイ)とWBA世界スーパーフェザー級王座決定戦を行うが、12回判定で敗れ王座返り咲きならず[1]

2003年(平成15年)、横浜さくらジムを離れ、拠点を韓国に戻す。

ライト級復帰

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2004年4月10日、アメリカ合衆国ラスベガスミゲール・カリストパナマ)とWBA世界ライト級王座決定戦を行い、5回TKO勝ちで世界2階級制覇を果たしたが、7月17日の初防衛戦でファン・ディアス(米国)に12回判定負けを喫し、王座陥落。

その後、2005年に2試合を戦い現役引退

同胞の元・大相撲力士である旭鷲山と親交があり、旭鷲山がラクバの応援に駆けつけたこともあった。

戦績

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  • 26戦 21勝 18KO 4敗 1分

獲得タイトル

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脚注

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注釈

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  1. ^ モンゴル語はLが語頭の場合は、読まれない

出典

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  1. ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年(平成14年)、234頁

関連項目

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外部リンク

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前王者
畑山隆則
WBA世界スーパーフェザー級王者

1999年6月27日 - 1999年10月31日

次王者
白鐘権
空位
前タイトル保持者
レオナルド・ドーリン
WBA世界ライト級王者

2004年4月10日 - 2004年7月17日

次王者
ファン・ディアス