ラウル2世・ド・クシー
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ラウル2世・ド・クシー Raoul II de Coucy | |
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クシー領主 | |
在位 | 1241年 - 1250年 |
出生 |
1211年 フランス王国、クシー |
死去 |
1250年2月8日 アイユーブ朝、マンスーラ |
配偶者 | フィリッパ・ド・ダンマルタン |
子女 | アンゲラン |
家名 | クシー家 |
父親 | クシー領主アンゲラン3世 |
母親 | マリー・ド・モンミライユ |
ラウル2世・ド・クシー(Raoul II de Coucy, 1211年 - 1250年2月8日)は、クシー領主アンゲラン3世とマリー・ド・モンミライユの息子[1]。1241年に父の跡を継いでクシー領主となった。
第7回十字軍に参加し、マンスーラの戦いにおいてエジプトで戦死した[2]。
ラウル2世はオマール伯シモン・ド・ダンマルタンの娘フィリッパと結婚したが[3]、1子アンゲランは早世し、弟アンゲラン4世が跡を継いだ。
脚注
[編集]- ^ Richard 1992, p. xxviii.
- ^ Jackson 2009, pp. 172–173.
- ^ Pollock 2015, p. 145.
参考文献
[編集]- Jackson, Peter, ed (2009). The Seventh Crusade, 1244-1254: Sources and Documents. Ashgate Publishing
- Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France after the Loss of Normandy, 1204-1296. The Boydell Press
- Richard, Jean (1992). Lloyd, Simon. ed. Saint Louis, Crusader King of France. Cambridge University Press
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