ラウル・ドーフレスヌ・ドゥ・ラ・シュヴァルリー
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獲得メダル | ||
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ベルギー | ||
男子ホッケー | ||
銅 | 1920 アントワープ | 団体 |
ラウル・ドーフレスヌ・ドゥ・ラ・シュヴァルリー(Raoul Daufresne de la Chevalerie、1881年3月17日 - 1967年11月25日)は、ベルギー・ブルッヘ出身のスポーツ選手。1903年から1907年まではベルギーのサッカークラブ、サークル・ブルッヘのサッカー選手としてプレーしており、最後の2年の間はレオン・デ・メーステルの後を継いで理事長も務めた。しかしその後はライバルチームのクラブ・ブルッヘと移籍し、そこでもクラブの取締役を務めた。
彼はサッカー選手としてだけでなく、馬術選手、テニス選手、フィールドホッケー選手としても活躍していた。1920年アントワープオリンピックではベルギーのサッカー代表の監督を務め金メダルを獲得した傍らに、ホッケー選手やテニス選手として競技に出場しており特にホッケーでは銅メダルを獲得している。
また、第二次世界大戦中にはイギリスにおいてベルギー陸軍の指揮官(中将)を務めていた。