ラウノ・アルトーネン
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ラウノ・アルトーネン | |
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基本情報 | |
国籍 | フィンランド |
生年月日 | 1938年1月7日(86歳) |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1973–1987 |
所属チーム | オペル, ダットサン |
出走回数 | 25 |
優勝回数 | 0 |
表彰台回数 | 6 |
ステージ勝利数 | 11 |
通算獲得ポイント | 65 |
初戦 | 1973年 ラリー・モンテカルロ |
最終戦 | 1987年 サファリラリー |
ラウノ・アウグスト・アルトーネン(芬: Rauno August Aaltonen, 1938年1月7日 - )は、フィンランド人の元ラリードライバー。姓はアールトネン表記もあり。
略歴
[編集]1961年、1965年に地元フィンランドラリー選手権とヨーロッパラリー選手権でタイトルを獲得し、1966年のバサースト5000( (1966 Gallaher 500) )で優勝。ランチア、フォード、日産チームで走っている。
1962年のラリー・モンテカルロでBMCワークスのミニクーパーを駆り、チュリニ峠でクラッシュするまで総合2位につける活躍を見せる。1963年は3位入賞。後にイギリス・フォードで名監督ぶりを発揮する事となるスチュワート・ターナー、チームメイトティモ・マキネンと共にブリティッシュ・モーター・コーポレーション (BMC) のモンテ黄金期を築き、1964年・1965年・1967年に優勝。アルトーネン自身はクーパーSで1967年に優勝し、1965年と1966年は2位に入っているが、1966年は主催者のモナコ自動車クラブ (ACM) がヘッドライトの規定違反としてミニ勢を「失格」としている。
1973年の世界ラリー選手権 (WRC) 創成期にはキャリア的にピークは過ぎており、優勝こそないものの、日産、フィアット、オペルと渡り歩き、1987年までラリー・モンテカルロ、RACラリー、サファリラリー、アクロポリスラリーとスポット的に起用されることが多かった。
ギャラリー
[編集]-
Aaltonen at the 1965 1000 Lakes Rally
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Aaltonen behind Timo Mäkinen at the 1000 Lakes
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Aaltonen with co-driver Anssi Järvi
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An ex-Aaltonen BMW 2002tii
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Aaltonen pictured in 2008
参照
[編集]参考書籍
[編集]- RallyBase 「Rauno Aaltonen」 2011年 4月23日参照。
- 三栄書房「ラリー&クラシックス Vol.4 "名優たち"の攻防」参考。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]タイトル | ||
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先代 バリー・セトン ミッジ・ボスワース |
バサースト500勝者 1966 (ボブ・ホールデンと) |
次代 ハリー・ファース フレッド・ギブソン |