ライッシゲン
ライッシゲン Leissigen | |||
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座標 : 北緯46度39分0秒 東経7度49分0秒 / 北緯46.65000度 東経7.81667度 | |||
行政 | |||
国 | スイス | ||
州 (Kanton) | ベルン州 | ||
区 (Verwaltungskreis) | インターラーケン=オーバーハスリ区 | ||
基礎自治体(Einwohner Gemainde) | ライッシゲン | ||
地理 | |||
面積 | |||
基礎自治体(Einwohner Gemainde)域 | 10.4 km2 | ||
標高 | 575 m | ||
人口 | |||
人口 | (2018年12月31日現在) | ||
基礎自治体(Einwohner Gemainde)域 | 1123人 | ||
人口密度 | 110人/km2 | ||
その他 | |||
等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||
夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||
郵便番号 | 3706 | ||
市外局番 | 0585 | ||
公式ウェブサイト : http://www.leissigen.ch |
ライッシゲン(独: Leissigen)は、スイスベルン州インターラーケン=オーバーハスリ区にある基礎自治体(Einwohnergemeinde)。
歴史
[編集]町の名は、古高ドイツ語で人物名ランクティーシュ(Langtis)に地名の接尾辞イングン(-ingun)が付いた「ランクティーシュの人々の」という語に由来する。歴史の上では、1285年にレンセンニュ(Lensengne)という名で初めて現れる。1290年にはレンクシンゲン(Lenxingen)と呼ばれている[1]。
人が居住した最古の形跡は、青銅器時代の斧や短刀、剣が見つかっている。中世に歴史で最初に記録された当時、ライッシゲンはウンスプネン=ローテンフルー領に属していた。その後、ヴァイッセナウ城のエッシェンバッハ男爵家が引き継ぎ、1334年にはインターラーケン修道院に譲渡され、その後2世紀は修道院の支配下にあった。1528年、ベルン市が宗教改革を受け入れると、ベルン高地にもそれを強制してきた。修道院とラウターブルンネンなどの村々は新教に対して蜂起したが、ベルンに鎮圧され、修道院は世俗化されて支配地はすべて接収された[1]。
ライッシゲンの最古の教会は、7世紀か8世紀頃の木造のものであったと考えられる。これが9世紀か10世紀に石造のものに建て替えられた。さらに11世紀には中世盛期の石造様式に建て替えられ、『シュトレットリーガー記録』(Strättliger Chronik)にはトゥーン湖の周囲にある12の教会のうちの一つに挙げられている。現在の建物は、1675年の大火事の後で建てられたものである[1]。
伝統的にライッシゲンの多くの住民がトゥーン湖での漁業従事者や船大工であり、その他は湖と山の間の狭い土地で農業を営んでいて、生活はトゥーン湖と密接な関係を保持してきた。ところが1780年に、湖岸付近の鉱泉に温泉地が建設されると、生活に変化が生じ、鉱泉は1873年に枯渇したものの、小さいながら観光産業が生まれることとなった。1887年には蒸気船が接岸する桟橋が設けられ、旅客や貨物の湖上交通の拠点の一つとなった。
現在では、ライッシゲンでは住民は小さな工場や小規模事業、夏季の観光業などに従事している。また、労働人口の3分の2は、インターラーケンやベルン付近まで通勤するようになっている[1]。
地理
[編集]ライッシゲンはベルン高地にあり、トゥーン湖の南岸に位置する。中心的な村落と散在する農家によって構成されており、村域は湖岸から森を通ってアルプスにまで至る。南側の境界には、標高2,249 m (7,379 ft)のモルゲンベルクホルン山(Morgenberghorn)がある。山腹には美しい景観で有名なマイエリーザルプ集落(Meielisalp)があり、ホテルとレストランがある。
境界を接する自治体は、東側のトゥーン湖沿いにデアリゲン、尾根を挟んで南東にザクセテンと南西にフルーティゲン・ニーダージンメンタール区のアエシー・バイ・シュピーツ、西側のトゥーン湖沿いに同区のクラッティゲンである。