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ライオン橋 (サンクトペテルブルク)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ライオン橋
Львиный мост
ライオン橋 地図
基本情報
ロシアの旗 ロシア
所在地 サンクトペテルブルク アドミラルティスキー地区
交差物件 グリボエードフ運河
用途 人道橋
設計者 ヴィルヘルム・フォン・トレッター
ヴァシーリー・フリスチアノーヴィチ
着工 1825年7月
竣工 1826年
開通 1826年7月1日
座標 北緯59度55分36.9秒 東経30度18分5.1秒 / 北緯59.926917度 東経30.301417度 / 59.926917; 30.301417座標: 北緯59度55分36.9秒 東経30度18分5.1秒 / 北緯59.926917度 東経30.301417度 / 59.926917; 30.301417
構造諸元
形式 吊橋
全長 27.3 m
2.9 m
地図
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
ライオン橋の位置
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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ライオン橋(ライオンばし、: Львиный мост リヴィニ・モスト: Bridge of Four Lions)は、ロシアサンクトペテルブルクにあるである[1]

概要

[編集]

単一スパンの吊橋であり、歩行者用の人道橋である[2][3][4]。橋の名称は、四隅に1体ずつ設けられている、ライオンをかたどった彫像に由来する[5]アドミラルティスキー地区に位置し、グリボエードフ運河に架橋されている[6][1][4]

ライオン像

設計は、ドイツ人建築家ヴィルヘルム・フォン・トレッタードイツ語版ロシア語版およびロシア帝国の技師ヴァシーリー・フリスチアノーヴィチロシア語版による[7][8]。建設は、フリスチアノーヴィチの監督のもとに進められた[9]

橋の全長は、27.3メートルであり、幅は2.9メートルである[4]。ケーブルには、直径1.5インチ(およそ4センチメートル)の鉄製のチェーンが用いられている。ライオン像の口から伸びているチェーンの両端は、像と台座の中に設けられている主塔に取り付けられており、支承アンカーボルトで固定されている[2][10][6][1][4][11]。橋の欄干には、鋳鉄製のランタンが2つ設けられている他に、バラの花を模した金めっきの装飾が施されている[10][8][9]

ライオン像は、彫刻家で学者のパーヴェル・ソコロフロシア語版ドイツ語版によって、1825年の5月から9月にかけて製作されたもので、鋳鉄でできており、台座に座った姿をしている[10][1][9][4][12]。像の鋳造は、アレクサンドロフスキー鋳鉄工場で行われた[8][11]。ライオン像の高さは、およそ2.4メートルである[11]

歴史

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1823年にライオン橋および銀行橋の設計図が作成され、1825年2月18日に、双方の橋の設計図が承認された[8]。その年の7月中旬には、主要な部分の建設工事が開始された[10]1826年に建設工事が完成され、同年7月1日に開通された[6][1][2][5][11]。1880年、欄干が鋳鉄製のものから鍛鉄製のものに変更される[6][8][4][10]。同年、開通当時から欄干に設けられていたランタンが取り外される[6][10][4]

1948年、大規模な修繕工事が行われる。が木製のものから金属製のものに変更され、弓なりの形状にするために、5つの部材を溶接してつなぎ合わせて構成された[6][4]。1954年、建築家アレクサンドル・ロガチロシア語版の設計によって、ランタンおよび欄干が開通当時の状態に復元される[10][4][12]。1999年から2000年にかけて、大規模な修復工事が行われる[6][10]。2015年、ランタンが破壊される事案が発生したが、後に修復される[4]。2018年8月10日から同年10月にかけて、ライオン像の修復作業が行われ、像がカララ大理石を模した、白を基調とした外観に塗り直された[10][4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 松村博 (2012年12月). “連載 世界の橋なみ 第9回 サンクトペテルブルク――ロマノフ王朝の残影”. 鹿島建設. 2021年5月3日閲覧。
  2. ^ a b c 松村博 (2017年8月1日). “世界の橋並み”. 関西道路研究会. 2021年5月3日閲覧。
  3. ^ Ruslan Panov (2019年10月24日). “The City of Bridges: Top 5 Must-See Bridges in Saint Petersburg And History Behind Them”. 国立研究大学高等経済学院. 2021年5月3日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k Львиный мост”. СПб ГБУ «Мостотрест». 2021年5月3日閲覧。
  5. ^ a b Тимофеева Лариса Владимировна (2019年12月16日). “Электронный образовательный ресурс на тему «Мосты Санкт-Петербурга»”. ГБДОУ Детский сад №85. 2021年5月3日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g Bridge of Four Lions”. SP SBI Mostotrest. 2021年5月3日閲覧。
  7. ^ Сергей Феофанов (2018年10月11日). “Львиный мост открыли после реставрации скульптур Фигурам львов вернули исторический цвет, имитирующий каррарский мрамор”. The Village. https://www.the-village.ru/city/news/328057-lvinyi-most 2021年5月3日閲覧。 
  8. ^ a b c d e Юбилей Львиного моста”. СПб ГБУ «Мостотрест». 2021年5月3日閲覧。
  9. ^ a b c Н.Ю. Красносельская. “Чугунные мосты Санкт-Петербурга, отлитые на заводе Ч. Берда”. МГХПА им. Строганова. 2021年5月3日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i Евгений Рубин (2020年1月13日). “Львиный мост на канале Грибоедова: балерины, их поклонники и дореволюционные риелторы”. ОАО Spbnews. https://saint-petersburg.ru/m/history/rubin/372391/ 2021年5月3日閲覧。 
  11. ^ a b c d Кочедамов 1959, p. 219.
  12. ^ a b Кочедамов 1959, p. 220.

参考文献

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  • Кочедамов В.И. (1959). “Цепные мосты в Петербурге первой четверти XIX века”. Архитектурное наследство (Филиал ФГБУ «ЦНИИП Минстроя России» НИИТИАГ) 10: 209-220. ISSN 0320-0841. https://jp1lib.org/book/3061261/f5fdd6?id=3061261&secret=f5fdd6. 

外部リンク

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