ライアン・ガーコ
クリーブランド・インディアンスでの現役時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州ピッツバーグ |
生年月日 | 1981年1月2日(43歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 225 lb =約102.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手、外野手 |
プロ入り | 2003年 MLBドラフト3巡目 |
初出場 |
MLB / 2005年9月18日 KBO / 2011年4月2日 |
最終出場 |
MLB/ 2010年5月13日 KBO / 2011年6月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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ライアン・フランシス・ガーコ(Ryan Francis Garko, 1981年1月2日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身(カリフォルニア州アナハイム近郊育ち)の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。現在は、MLBのデトロイト・タイガースの選手育成副部長を務める。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]幼い頃は自宅がアナハイム近郊にあったためカリフォルニア・エンゼルスファンであり、ギャレット・アンダーソンやティム・サーモン、J・T・スノーに憧れを抱いていた。また、年1回ほどドジャー・スタジアムへと出向き、当時のロサンゼルス・ドジャースの正捕手であるマイク・ピアッツァを観るのを楽しみにしていたという。
アナハイムの男子校のサーバイト高等学校で、当時アトランタ・ブレーブスのスカウトも兼任していたトッド・クックの指導を受けた。当時のチームメイトには、後に再び同僚となるベン・フランシスコ、ブライアン・ウルフがいた[1]。最上級生となった1999年には、主にガーコが3番打者、フランシスコが4番打者を務めた。その後、スタンフォード大学へ進学し、アメリカ合衆国の研究を専攻する。
プロ入りとインディアンス時代
[編集]2003年のMLBドラフト3巡目(全体78位)でクリーブランド・インディアンスから指名され、プロ入り。
2005年9月18日にメジャーデビュー。この年は1試合のみの出場で三振に終わる。
2006年は50試合に出場して打率.292、7本塁打、45打点を記録した。
2007年には、メジャーに定着し、138試合の出場で打率.289、21本塁打、61打点をマークし、アメリカンリーグ3位の20死球を記録した。
ジャイアンツ時代
[編集]2009年7月28日にスコット・バーンズとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[2]。
レンジャーズ時代
[編集]2010年2月1日にシアトル・マリナーズと1年55万ドル(別途インセンティブで最大107.5万ドル)で契約した[3]。しかし、マリナーズでは開幕ロースターに残れずウェイバー公示され、テキサス・レンジャーズと契約した。だが、15試合でわずか3安打に終わりマイナーリーグへ降格となった。その後シーズンの多くを傘下のAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでプレーしたがメジャー昇格できず、オフにFAとなった。
サムスン時代
[編集]2010年12月10日に韓国野球委員会のサムスン・ライオンズと契約。登録名は「ガコ(가코)」。
2011年、サムスンの春季キャンプ中の2月13日、北海道日本ハムファイターズとの練習試合で斎藤佑樹と対戦しショートゴロに倒れた。開幕後は58試合の出場で打率.243、1本塁打、28打点、OPS.631と低迷し、2軍降格後の6月下旬に左手を骨折したため、7月13日に解雇された。
サムスン退団後
[編集]2012年3月、独立リーグであるアトランティック・リーグのロングアイランド・ダックスと契約した。
2012年5月14日にタンパベイ・レイズとマイナー契約し、傘下のAA級モンゴメリー・ビスケッツでプレーした。11月3日にFAとなった。
2013年1月30日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだが、開幕前の3月23日に自由契約となった。
引退後
[編集]引退後は、母校のスタンフォード大学の野球部のコーチ、ドジャース傘下のAA級タルサ・ドリラーズの監督、パシフィック大学の監督を務めた。
2020年にはロサンゼルス・エンゼルスでコーチ補佐兼インスタント・リプレイコーディネイターに就任し[4]、2年間務めた。
2021年9月、デトロイト・タイガースの選手育成副部長への就任が発表された[5]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2005 | CLE | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2006 | 50 | 209 | 185 | 28 | 54 | 12 | 0 | 7 | 87 | 45 | 0 | 0 | 0 | 3 | 14 | 0 | 7 | 37 | 5 | .292 | .359 | .470 | .829 | |
2007 | 138 | 541 | 484 | 62 | 140 | 29 | 1 | 21 | 234 | 61 | 0 | 1 | 0 | 3 | 34 | 1 | 20 | 94 | 12 | .289 | .359 | .483 | .842 | |
2008 | 141 | 563 | 495 | 61 | 135 | 21 | 1 | 14 | 200 | 90 | 0 | 0 | 0 | 8 | 45 | 1 | 15 | 86 | 10 | .273 | .346 | .404 | .750 | |
2009 | 78 | 273 | 239 | 29 | 68 | 10 | 0 | 11 | 111 | 39 | 0 | 0 | 2 | 2 | 20 | 1 | 10 | 40 | 6 | .285 | .362 | .464 | .826 | |
SF | 40 | 127 | 115 | 10 | 27 | 3 | 1 | 2 | 38 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | 3 | 10 | 2 | .235 | .307 | .330 | .638 | |
'09計 | 118 | 400 | 354 | 39 | 95 | 13 | 1 | 13 | 149 | 51 | 0 | 0 | 2 | 2 | 29 | 1 | 13 | 50 | 8 | .268 | .344 | .421 | .765 | |
2010 | TEX | 15 | 38 | 33 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | 0 | 4 | 1 | .091 | .167 | .091 | .258 |
MLB:6年 | 463 | 1752 | 1552 | 190 | 427 | 75 | 3 | 55 | 673 | 250 | 0 | 1 | 4 | 16 | 125 | 4 | 55 | 272 | 36 | .275 | .347 | .434 | .781 |
背番号
[編集]- 25(2005年 - 2009年途中、2010年)
- 23(2009年途中 - 同年終了)
- 35(2011年)
- 85(2020年 - 2021年)
脚注
[編集]- ^ Lloyd, Jason(2008-07-20). Servite Alums Ben Francisco, Ryan Garko and Brian Wolfe Featured in the Morning Journal. The Morning Journal(英語). 2011年6月19日閲覧
- ^ “Giants acquire Garko from Indians Club ships Class A left-hander Barnes to Cleveland”. SFGiants.com (2009年7月29日). 2009年7月30日閲覧。
- ^ “Mariners ink Garko to one-year deal”. MLB.com (2010年2月1日). 2010年2月11日閲覧。
- ^ Rhett Bollinger (2020年1月6日). “Halos hire Garko to coaching staff (source)” (英語). MLB.com. 2020年2月17日閲覧。
- ^ Jason Beck (2021年9月23日). “Garko joins Tigers as player development VP” (英語). MLB.com. 2022年6月9日閲覧。