ヨーゼフ・マイゼダー
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ヨーゼフ・マイゼダー Joseph Mayseder | |
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リトグラフ。1838年。ヨーゼフ・クリーフーバー作。 | |
基本情報 | |
生誕 |
1789年10月27日 ドイツ国民の神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、 ウィーン |
死没 |
1863年11月21日(74歳没) オーストリア帝国、ウィーン |
ジャンル | クラシック |
職業 | ヴァイオリニスト、作曲家 |
ヨーゼフ・マイゼダー(Joseph Mayseder[注 1] 1789年10月27日 - 1863年11月21日)は、オーストリアのヴァイオリニスト、作曲家。
生涯
[編集]幼少期から音楽の才能を示したマイゼダーはヨーゼフ・ズッヒェ(1797年)、パヴェル・ヴラニツキー(1798年)、イグナーツ・シュパンツィヒに師事した。11歳までにはウィーンのアウガルテンにて催された公開演奏会で演奏を披露していた。作曲の指導はエマヌエル・アロイス・フェルスターから受けている。
1810年にウィーン宮廷歌劇場のコンサートマスターに任用された。1816年にはホーフブルク宮殿礼拝堂管弦楽団のヴァイオリン独奏者となり、1836年からは同団を指揮するようになった。四重奏団の奏者として一流であり、自らの楽器を教え、作曲も行った。門下からは高い尊敬を集めるハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストらが輩出している[1]。
マイゼダーは多くの賞や名誉会員の座を得ている。ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアの会員に選ばれているが、これはフランツ・リストらに並ぶものである[2]。1862年にはフランツ・ヨーゼフ勲章のナイト・クロスに叙されたほか、ウィーン楽友協会の名誉会員にも選出されている。また、アントン・ディアベリが企画した変奏曲集にも参加している。
死後、亡骸はウィーン中央墓地の名誉の墓に埋葬された。彼の名を取って1876年にウィーンのインネレシュタットにマイゼダーガッセ(マイゼダー小路)が誕生した。
主要作品
[編集]演奏会用作品
- ヴァイオリン協奏曲 作品22、26、28
- ヴァイオリンと管弦楽のためのディベルティメント 作品35、39
- Varié Concerto 作品43
- ヴァイオリンと管弦楽、または弦楽四重奏のための華麗なるロンド 作品21、27、29、30
- ヴァイオリンと管弦楽、または弦楽四重奏のためのAirs variés 作品18、23、33、40[注 2]、45
弦楽四重奏曲
- イ長調 作品5
- ト短調 作品6
- 変イ長調 作品7
- ヘ長調 作品8(Quatuor Brilliant)
- ニ長調 作品9
- ト長調 作品23
- 嬰ヘ短調 作品62
- ニ長調 作品66
- 第2ヴァイオリン、ヴィオラとチェロの伴奏つき主題と変奏 作品1、4、15
弦楽五重奏曲
- ロ短調 作品50
- イ短調 作品51
- ニ長調 作品55
- 変ホ直方 作品65
- ホ短調 作品67
ヴァイオリンとピアノ
- ソナタ 作品10
- ソナタ 作品42
ピアノ三重奏曲
- 変ホ長調 作品34
- ヘ長調 作品41
- ヘ長調 作品51
- 変イ長調 作品52
- 変奏曲 作品57
- ホ短調 作品58(1843年)
- ト長調 作品59(1844年)
ピアノ四重奏曲
- ヘ短調 作品24
- 57の協奏的変奏 ニ長調 作品57
- 『バーデンの思い出、協奏的変奏形式による音楽の花輪』 作品63
教会音楽
- ミサ曲 変ホ長調 作品64(1848年6月、ウィーン宮廷礼拝堂)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ Greene, David Mason (1985). Greene's Biographical Encyclopedia of Composers. p. 626. ISBN 9780385142786
- ^ “The Musical World”. The Musical World, A Weekly Record of Musical Science, Literature and Intelligence XII: 219. (May–December 1839) .
外部リンク
[編集]- ヨーゼフ・マイゼダーの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- Werke von und über - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。
- Eintrag zu ヨーゼフ・マイゼダー im Austria-Forum (in AEIOU Österreich-Lexikon)