ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
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ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ Joseph Karl von Pfalz-Sulzbach | |
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プファルツ=ズルツバッハ公世子 | |
出生 |
1694年11月2日 神聖ローマ帝国 プファルツ=ズルツバッハ公領、ズルツバッハ |
死去 |
1729年7月18日(34歳没) 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、オッガースハイム |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン、聖ミヒャエル教会 |
配偶者 | エリーザベト・アウグステ・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | プファルツ=ズルツバッハ家 |
父親 | プファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハ |
母親 | エレオノーレ・マリー・アマーリア・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルク |
ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ(Joseph Karl von Pfalz-Sulzbach, 1694年11月2日 - 1729年7月18日)は、プファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハとエレオノーレ・マリー・アマーリア・フォン・ヘッセン=ラインフェルス=ローテンブルクの長男。ヨハン・クリスティアンの兄。
生涯
[編集]プファルツ選帝侯カール3世フィリップには息子がなかったため、1716年にヨーゼフ・カールはカール3世の後継者と決められた。それに伴い、翌1717年にカール3世の娘エリーザベト・アウグステ・ゾフィーと結婚したが、1728年にエリーザベトが死去、自身も後を追うように翌1729年に急死した。
エリーザベトとの間に生まれた息子は全員夭折、娘しか残らなかったため、弟のヨハン・クリスティアンが改めて後継者に選ばれた。後にヨハン・クリスティアンも早世、その息子カール・テオドールがヨーゼフ・カールとエリーザベトの娘エリーザベト・アウグステと結婚、カール3世亡き後のプファルツ選帝侯を継承した。
子女
[編集]- カール・フィリップ(1718年 - 1724年)
- インノツェンツァ・マリア(1719年)
- エリーザベト・アウグステ(1721年 - 1794年) - 従弟に当たるカール・テオドールと結婚。
- マリア・アンナ(1722年 - 1790年) - バイエルン公子クレメンス・フランツと結婚。
- マリア・フランツィスカ(1724年 - 1794年) - プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公子フリードリヒ・ミヒャエルと結婚、プファルツ=ツヴァイブリュッケン公カール3世アウグスト、バイエルン国王マクシミリアン1世の母。
- カール・フィリップ(1725年 - 1728年)
- 男(1728年)