ヨハン・ペーター・フォン・ランガー
ヨハン・ペーター・フォン・ランガー Johann Peter Langer | |
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Marie Ellenriederによる肖像画 | |
生誕 |
1756年7月1日 ドイツ国民の神聖ローマ帝国 ベルク公国 デュッセルドルフ |
死没 |
1824年8月6日 バイエルン王国 ミュンヘン |
ヨハン・ペーター・フォン・ランガー(Johann Peter Langer、1808年から貴族となって、von Langer、1756年7月1日(洗礼日)1824年8月6日)はドイツの画家である。
略歴
[編集]デュッセルドルフのKalkumに生まれた。父親は庭師で貴族のハッツフェルト家(Hatzfeld)で働いていた。1775年から、クラーエ(Lambert Krahe)が設立した美術学校(「プファルツ選帝侯領絵画、彫刻、建築アカデミー」(Kurfürstlich-Pfälzische Academie der Maler, Bildhauer- und Baukunst)、後にデュッセルドルフ美術アカデミーとなる)で学んだ。1776年に美術学校の展覧会で2等を取り、1778年には一等を取り、奨学金を取得した。1784年にはアカデミーの教授となり、1789年には校長となった。この時代の教え子には肖像画家のハインリヒ・クリストフ・コルベらがいる。
1788年にオランダに研究旅行をした。フランス革命後の情勢は、デュッセルドルフが戦場となり、破壊と貧困が襲うことになり、1794年にデュッセルドルフ美術アカデミーは活動を停止した。ランガーも、協力者と壁紙の会社を作り、パリに売り込むなどの活動などをした。その間、パリで美術研究の機会もえた。1801年にリュネヴィルの和約で平和が訪れた後、美術アカデミーの再建を行った。1801年に美術コレクションのデュッセルドルフ絵画館(Gemäldegalerie Düsseldorf)の館長になった。1802年には美術アカデミーは42人の学生を迎えた。1806年にはバイエルン王に招かれて、ミュンヘン美術院の校長に任じられ、1808年には貴族に叙せられた。
宗教的な題材、風俗画、肖像画を描いた。
作品
[編集]-
子供たちを祝福するキリスト(c.1808)
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化学者
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ゼーリヒマン(実業家)の肖像
参考文献
[編集]- Hyacinth Holland: Langer, Johann Peter von. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 17, Duncker & Humblot, Leipzig 1883, S. 678 f.
- Langer, Johann Peter von. In: Meyers Konversations-Lexikon. 4. Auflage. Band 10, Verlag des Bibliographischen Instituts, Leipzig/Wien 1885–1892, S. 503.
- Langer, Johann Peter von. In: Friedrich von Boetticher: Malerwerke des neunzehnten Jahrhunderts. Beitrag zur Kunstgeschichte. Band I, Dresden 1895, S. 807 f.
- Langer, Peter (Joh. Pet.) von. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 22: Krügner–Leitch. E. A. Seemann, Leipzig 1928, S. 336–337.
- Max Stern: Johann Peter Langer. Sein Leben und sein Werk (= Forschungen zur Kunstgeschichte Westeuropas Bd. 9). K. Schroeder, Bonn 1930.
- Christoph Schwingenstein: Langer, Johann Peter von. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 13, Duncker & Humblot, Berlin 1982, ISBN 3-428-00194-X, S. 591–593 (Digitalisat).