ヨゼフ・ロゲンドルフ
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人物情報 | |
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生誕 |
1908年 ドイツ帝国 ケルン |
死没 |
1982年12月27日(73-74歳没) 日本 東京都 |
出身校 |
ワルス大学[注釈 1] イグナチウス大学[注釈 1] ロンドン大学 |
学問 | |
研究分野 |
英文学 比較文学 |
研究機関 | 上智大学 |
博士課程指導学生 | 別宮貞徳(修士課程) |
称号 | 上智大学名誉教授(1979年) |
主要な作品 |
『キリスト教と近代文化』 『異文化のはざまで』 『ヨゼフ・ロゲンドルフ一巻選集』 |
影響を受けた人物 | ヴィルヘルム・クライン |
主な受賞歴 |
ドイツ連邦共和国功労勲章一級功労十字章受章(1962年) 勲四等瑞宝章受章(1968年) |
ヨゼフ・ロゲンドルフ(ドイツ語: Joseph Roggendorf、1908年 - 1982年12月27日[2][注釈 2])は、ドイツ生まれの日本で活躍したイエズス会士、カトリック司祭、英文学者。上智大学名誉教授。
経歴
[編集]1908年、ドイツのケルン近郊にあるメヒャニヒで生まれる[1]。ギムナジウムを終えてからイエズス会に入り、ドイツおよびフランスの神学院で哲学と神学を学び、1934年司祭に叙階。1935年に来日し、日本語学習の傍ら旧制広島高等学校でドイツ語を教える。1937年からイギリスに留学し1940年までロンドン大学東洋学部で比較文学を専攻。1940年に帰日、1979年まで上智大学文学部英文科教授。1979年4月、上智大学名誉教授の称号が授与される。比較文学や日本文化史の研究・教育に携わり、終生を日本で過ごした。
1958年、ソ連政府がボリス・パステルナークのノーベル文学賞授与を辞退させた際、エドワード・サイデンステッカー、アイヴァン・モリスとともに、日本ペンクラブのソ連政府に同調する姿勢を批判した[4][5]。
1982年、帰天。1985年、生前の業績を記念して上智大学を中心にヨゼフ・ロゲンドルフ賞(ロゲンドルフ基金運用委員会が受賞者を選考)が設立された。
著書
[編集]- 『論理學要説 眞理の問題』神山四郎、小林珍雄訳 エンデルレ書店 1946
- 『キリスト教と近代文化』野口啓祐訳 弘文堂書房 (アテネ文庫) 1948
- 『カトリシズム』野口啓祐訳 弘文堂 (アテネ文庫) 1949
- 『ヨーロッパの危機』弘文堂 1951
- 『日本と私』別宮貞徳編訳 南窓社 1972
- 『ニッポンの大学生 師弟対談 知的学生生活の方法』主婦の友社(Tomo選書) 1979
- 『異文化のはざまで』文芸春秋 1983
- 『ヨゼフ・ロゲンドルフ一巻選集』別宮貞徳編 南窓社 1988
共編著
[編集]- 『終課 公教會晩祷』リテラリ・ギルド共編著 エンデルレ書店 1948
- 『現代思潮とカトリシズム』(編)創文社 1959
- 『激動する社会と大学』(編)南窓社 1973
- 『和魂・洋魂 ドイツ人神父の日本考察』加藤恭子共著 講談社 1979
記念文集
[編集]- 一粒の麦 ヨゼフ・ロゲンドルフ師追悼文集編集委員会 南窓社 1984.3
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 調和のある多様性, p. 19.
- ^ Gregor Brand. “Joseph Roggendorf: Literaturwissenschaftler und Japanexperte aus Mechernich” (ドイツ語). Academia.edu. 2023年3月3日閲覧。 “Professor Roggendorf SJ starb in Tokio überraschend am 27.Dezember 1982.”
- ^ 別宮貞徳「運命の出会い――父なる師を語る【追悼 ロゲンドルフ師をしのんで】」『西洋文化ならびに東西文化交流の研究』第32巻第2号、上智大学、1983年6月30日、99-108頁。
- ^ エドワード・G・サイデンステッカー「日本との50年戦争―ひと・くに・ことば」(朝日新聞社)P.211
- ^ 大宅壮一「群像断裁」(文藝春秋新社)P.129
参考文献
[編集]- ロゲンドルフ教授略年譜・著作一覧「英文学と英語学」1983
- 山本浩「調和のある多様性――ヨゼフ・ロゲンドルフ先生を思い出しながら」『ソフィアのダイバーシティ――先哲に学ぶ多様性との向き合い方』(PDF)学校法人上智学院ダイバーシティ推進室、2021年3月、19-21頁 。