ユーグ (ブルゴーニュ伯)
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ユーグ3世・ド・シャロン Hugues III de Chalon | |
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ブルゴーニュ伯 | |
ユーグ3世のシール | |
在位 | 1248年 - 1266年 |
出生 |
1220年 |
死去 |
1266年 |
配偶者 | ブルゴーニュ女伯アリックス |
子女 | 本文参照 |
家名 | アンスカリ家 |
父親 | シャロン伯ジャン1世 |
母親 | マオー・ド・ブルゴーニュ |
ユーグ3世・ド・シャロン(フランス語:Hugues III de Chalon, 1220年 - 1266年)は、シャロン伯ジャン1世とその最初の妃でブルゴーニュ公ユーグ3世の娘マオーの息子。1236年11月1日に16歳で後のブルゴーニュ女伯アリックスと結婚し、ブルゴーニュ伯となった。
ユーグとアリックスの間には以下の子女が生まれた。
- オトン4世(1248年ごろ - 1302年)[1] - ブルゴーニュ伯
- ユーグ - モンブリゾンおよびアスプルモンの領主。サヴォイア伯アメデーオ5世の娘ボーナと結婚。
- エティエンヌ(1299年没)
- ルノー(1260年ごろ - 1321年) - ギュメット・ド・ヌーシャテルと結婚し、モンベリアル伯となる[2]。
- アンリ
- ジャン(1302年没) - モンテギュ領主
- アリックス - フォントヴロー修道院の修道女
- エリザベート(1275年没) - 1250年にキーブルク伯ハルトマン5世と結婚
- イッポリト - サン=ヴァリエ女領主。ヴァランティノワ伯エイマー4世・ド・ポワティエと結婚
- ギヨンヌ(1316年没) - ピエモンテ領主トンマーゾ3世・ディ・サヴォイアと結婚[3]
- マルグリット - フォントヴロー修道院の修道女
- アニェス - サン=トーバン女領主。パニー領主フィリップ2世・ド・ヴィエンヌと結婚。
妃でブルゴーニュ女伯のアリックスは、ユーグの死から1年後にサヴォイア伯フィリップ1世と再婚し、ユーグの息子オトン4世が跡を継いだ。
脚注
[編集]- ^ Jackson-Laufer 1999, p. 19.
- ^ Cox 1999, p. 363.
- ^ Kinkade 2004, p. 184.
参考文献
[編集]- Cox, Eugene (1999). “The kingdom of Burgundy, the lands of the house of Savoy and adjacent territories”. In Abulafia, David. The New Cambridge Medieval History: Volume 5, C.1198-c.1300. Cambridge University Press
- Jackson-Laufer, Guida Myrl (1999). Women Rulers Throughout the Ages: An Illustrated Guide. ABC-CLIO. ISBN 9781576070918
- Kinkade, Richard P. (2004). “Beatrice "Contesson" of Savoy (c. 1250-1290): The Mother of Juan Manuel”. La corónica: A Journal of Medieval Hispanic Languages, Literatures, and Cultures 2 (3, Summer): 163–225.
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